慎重さと、その先へ

量子重力——量子論と重力を統一する究極理論——を追いかけている研究者たちは、ずっと前からこう予想してきました。
「重力と量子を本気で統合するなら、出来事の順番は固定されていてはいけない。時空のあちこちで、因果の順序がぐにゃりと曲がるはずだ」。
これは、物理学者ルシアン・ハーディが2007年に提唱したように、アインシュタインの一般相対性理論を量子論と結びつけたとき、自然に行き着く予想でもあります。
一般相対性理論では、時空のどこにいるかによって、出来事どうしの時間的なつながり方が変わりうる。
重力場が強いところでは、因果で直接結ばれていない離れた出来事の”見える順序”が観測者ごとに大きくズレうるのです。
そこに量子論を組み合わせると——もはや「Aが先か、Bが先か」は、固定された答えを持たなくなる。
両方が量子的に重なりあったまま、世界が動いていくはずだ、というわけです。
カナダ・カルガリー大学のカルロ・マリア・スカンドロ氏は、今回の研究について「これは因果的不確定性です。量子重力理論を追求したいのであれば、この点に留意する必要があります」と述べています。
つまり、QBoxが描く「より深い世界」は、ただの数学的空想ではないということです。
量子重力という、物理学の最前線が長年追いかけてきた究極理論が持つとされる性質と、よく重なっている。
それゆえに、QBoxは「量子論より深い世界」を考えるための候補として真剣に議論されているのです。
もっとも今回の研究で即「ついに量子力学のさらに奥にある世界が見つかった!」「物理学が次の段階に進んだ!」と断定できるわけではありません。
むしろ論文のディスカッションでは、自分たちの結果について、2つの可能性を誠実に並べています。
1つ目の可能性は、これが本物のメカニズムである可能性。
つまり、量子論は本当にQBoxのような深い理論から立ち上がっており、私たちは「より深い世界の半分しか見えていない不自由な観測者」なのかもしれない、という読み方です。
2つ目の可能性は、ハイパーデコヒーレンスの定義するルール(公理)の甘さが数学的な帰結になった可能性です。
私たちはより上流の世界が量子世界になる時に行われる「はぎ取り(ハイパーデコヒーレンス)」を十分に理解していません。
そのため計算上は正しい抜け道となっても、上の世界を完璧に描き切っているとは限らないのです。
QBoxという数学的な抜け道は見つかった。
でも、なぜそれが自然界で実際に使われている道なのか。
その物理的なストーリーは、これからの研究で詰めていく必要がある——というわけです。
それでも、QBoxには「因果があいまい」「全体像が一通りに決まらない」という2つの奇妙さが、同時に潜んでいて、その2つが揃うことで、はじめて2018年の高い壁の脇をすり抜けることができるというアイディアと、それを支える数学の仕組みは、十分に有望な出発点となるでしょう。
今回の研究が、世界トップクラスの物理学誌『Physical Review A』に掲載されたこと自体、物理学者たちがこの「抜け道」を真剣に受け止めていることの表れと言えそうです。
論文の最後では、将来の宿題として、実験で確かめる可能性にも触れられています。
量子の世界では、光や粒子の波がさまざまな形で重なり合います。
その重なり方を、いつもよりずっと細かく調べていけば、QBox理論ならではの違いが見えてくるかもしれない——そんな展望です。
そして著者のヘフォード氏は、最後にこんな言葉を残しています。
「理論の塔全体が、似たようなメカニズムによって、互いにデコヒーレンスを起こしているのです」
ここまで何度も登場してきた「はぎ取り」が、量子論よりさらに上の階でも、同じように起きているのではないか——ヘフォード氏は、そう語っているのです。
量子論の上にQBoxがあるだけではない。
QBoxの上にも、さらに深い理論があるかもしれない。
そしてそのさらに上にも——。
世界は、いったい何階建てなのでしょうか。





























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そしてさらにその先があって…。
解るようで判らない、非常に有益な記事ですね。我々人間の煩しい世界から逃げる、一時の空想を満足させてくれました。ありがとう。
素直に受け取ればいい。つまり「全体像は一通りに決まらない」んだよ。
この記事は面白いが、「QBoxが量子力学の奥にあり、ハイパーデコヒーレンスで私たちの量子論が生じる」という読みは、羽田野直道「量子力学における『時間の矢』」(日本物理学会誌72(6), 2017)から見ると説明価値がない。時間の矢とは、壊れる、崩壊する、放射する、という向きの現象が、その逆向きより普通に見えることだ。素朴には、これは量子力学にない新法則を要するように見える。しかし羽田野論文は、時間反転対称なシュレーディンガー方程式でも、無限自由度の外界をもつ開放量子系では「崩壊状態」と「成長状態」がペアで現れる、と説明する。重要なのはその後で、時間の矢の問題は「なぜ崩壊状態が卓越して選ばれるのか」まで示さなければ解けない、という点だ。同論文は、初期条件問題では「自動的に崩壊状態が選択され」、終末条件問題では成長する解が選択される、と述べる。つまり、私たちが普通「初期状態を置いて未来を見る」という問い方をすること自体が選択バイアスである。ここを見落とすと、見かけの非対称性を世界そのものの性質と誤読しやすい。
一方、QBox論文のハイパーデコヒーレンスは、p.5で下側を“completely depolarising”、上側を“identity”にする写像として定義され、p.7では観測者に“future-evolving half”だけへのアクセスを許すと説明される。これは自然界の新しい脱相関過程というより、過去側を捨て、未来側を残す問題設定である。記事も「下側(過去側)を、完全なノイズで塗りつぶす」「上側はそのまま残す」と説明しており、まさに片側選択である。著者自身もこの操作を“too trivial and too far”とし、“discarding in time should also be ruled out”かもしれないと留保している。したがって、ナゾロジー記事の「過去側が曇りガラスで覆われた世界」という比喩は、初期条件問題を当然視するバイアスを存在論化しただけに見える。羽田野論文の視点では、必要なのはQBoxという新理論ではなく、崩壊状態と成長状態、初期条件問題と終末条件問題を対称に扱う既存量子力学の正しい解釈で十分である。むしろQBoxは、説明を増やさず混乱を増す。
この記事の「QBox/ハイパーデコヒーレンス」を時間の矢の説明として読むなら、まず既存理論の射程を整理すべきです。羽田野直道『量子力学における「時間の矢」』(日本物理学会誌72(6), 2017)は、微視的方程式は時間反転対称でも、無限自由度の外界を持つ開放量子系では「崩壊状態」と「成長状態」がペアで現れると述べ、さらに「初期条件問題」では崩壊状態が、「終末条件問題」では成長解が自動的に選ばれると説明します。ここで扱うのは、励起原子が光子を放出して基底状態へ落ちるような、量子崩壊の力学的時間の矢です。重要なのは、崩壊方向を新法則として仮定するのではなく、問いの立て方がどちらの解を選ぶかを問題にする点です。一方、Evans, Cohen & Morriss, PRL 71, 2401 (1993) は、第2法則に反するように見える有限時間のせん断応力反転の確率比を与え、Crooks, PRE 60, 2721 (1999) はゆらぎ定理を「entropy production probability distribution」に条件を課す関係として、微視的可逆な確率力学から導きます。これは熱浴・多数自由度・経路確率に関する熱力学的時間の矢であり、羽田野の対象とは重なりません。両者は競合せず階層が違う。まず羽田野の視点で「未来を見る初期値問題」という問い方が崩壊側を選ぶことを認め、その上でゆらぎ定理により、正のエントロピー生成経路が逆経路より指数的に優勢になることを読むべきです。つまり、微視的量子力学の段階では崩壊極の選択が、統計力学の段階では経路確率比が、同じ時間反転対称性の下で別々の非対称性を作る。両者を統合すれば、時間の矢は一つの謎ではなく、階層ごとの選択規則の束として見える。いわば「なぜ片向きか」ではなく「どの設定が片向きを選んだか」を問うべきです。ナゾロジー記事は「ハイパーデコヒーレンス」を、ポスト量子理論から量子力学への「はぎ取り」と説明しますが、時間の矢の理解には、その上位物語は不要です。問題は、基礎法則が片向きなのではなく、境界条件・観測条件・アンサンブル設定がどの階層でどの非対称性を選ぶかです。QBoxはその選択構造を新理論風に語り直しているだけに見えます。
この記事の「QBox/ハイパーデコヒーレンス」を時間の矢の説明として読むなら、まず既存理論の射程を整理すべきです。羽田野直道『量子力学における「時間の矢」』(日本物理学会誌72(6), 2017)は、微視的方程式は時間反転対称でも、無限自由度の外界を持つ開放量子系では「崩壊状態」と「成長状態」がペアで現れると述べ、さらに「初期条件問題」では崩壊状態が、「終末条件問題」では成長解が自動的に選ばれると説明します。ここで扱うのは、励起原子が光子を放出して基底状態へ落ちるような、量子崩壊の力学的時間の矢です。重要なのは、崩壊方向を新法則として仮定するのではなく、問いの立て方がどちらの解を選ぶかを問題にする点です。一方、Evans, Cohen & Morriss, PRL 71, 2401 (1993) は、第2法則に反するように見える有限時間のせん断応力反転の確率比を与え、Crooks, PRE 60, 2721 (1999) はゆらぎ定理を「entropy production probability distribution」に条件を課す関係として、微視的可逆な確率力学から導きます。これは熱浴・多数自由度・経路確率に関する熱力学的時間の矢であり、羽田野の対象とは重なりません。両者は競合せず階層が違う。まず羽田野の視点で「未来を見る初期値問題」という問い方が崩壊側を選ぶことを認め、その上でゆらぎ定理により、正のエントロピー生成経路が逆経路より指数的に優勢になることを読むべきです。つまり、微視的量子力学の段階では崩壊極の選択が、統計力学の段階では経路確率比が、同じ時間反転対称性の下で別々の非対称性を作る。両者を統合すれば、時間の矢は一つの謎ではなく、階層ごとの選択規則の束として見える。いわば「なぜ片向きか」ではなく「どの設定が片向きを選んだか」を問うべきです。ナゾロジー記事は「ハイパーデコヒーレンス」を、ポスト量子理論から量子力学への「はぎ取り」と説明しますが、時間の矢の理解には、その上位物語は不要です。問題は、基礎法則が片向きなのではなく、境界条件・観測条件・アンサンブル設定がどの階層でどの非対称性を選ぶかです。QBoxはその選択構造を新理論風に語り直しているだけに見えます。
前回述べたQBox批判は、ゆらぎ定理(FT)まで含めるとさらに明確になります。時間の矢は「逆向きが禁じられる」という話ではありません。羽田野直道は、開放量子系では「崩壊状態」と「成長状態」が時間反転の対として現れ、初期条件問題では崩壊側が、終末条件問題では成長側が選ばれると説明します。つまり逆向きの解は存在しないのではなく、問いの設定で見え方が偏るのです。FTも同じ発想を統計力学の階層で定量化します。Crooksは、FTを“entropy production probability distribution”への制約として示し、しかも“microscopically reversible dynamics”から導いています。彼の式では、正向き過程のエントロピー生成分布と、時間反転過程の分布の比が指数因子で重みづけられるだけです。式の左辺に逆過程の確率が残っている時点で、逆経路は理論の外へ追放されていません。第二法則は微視的な通行止めではなく、巨視的極限での圧倒的な確率優位として読むべきです。したがって統合すべき理解は、量子崩壊では羽田野の崩壊極選択、熱統計ではFTの経路確率比、という階層的説明です。どちらも、基礎法則に片向きの新原理を足すのではなく、境界条件・アンサンブル・観測問題がどの向きを優勢に見せるかを述べています。この視点から見ると、ハイパーデコヒーレンスという概念は根本的に取り違えています。QBox論文のhypdecは、下側を“completely depolarising”、上側を“identity”にする操作であり、さらに観測者に“future-evolving half”だけを許すと説明される。これは通常のデコヒーレンスのような物理的散逸ではなく、過去側を消して未来側を残す選択規則にすぎません。著者自身もそれを“too trivial and too far”と留保しています。つまりQBoxは、羽田野とFTが既に明らかにしている「片向きに見える条件」を、深い実在からのはぎ取りとして言い換えただけです。逆方向は禁じられていない。だから必要なのはハイパーデコヒーレンスではなく、時間反転対称な理論の中で何がどちらを選ぶのかを、階層ごとに正しく読むことです。
理論自体が無限に重なっているのでは
なるほど!なるほど!
デコヒーレンスという言葉だけは覚えた!
仏教では、
因果律はある。
全てのモノに実体はない。
全てのモノは相互依存関係にある。
無数の因果律は縁、触媒によってボップすると説きます。
そして。
それらをありのままに観察する事で、全ての不幸のストーリーは納得できる、悲しむべき事項ではなくなると説きます。
現実の世界はサイコロを振っているようには見えない世界
↑↓
量子的世界はページを誰かがめくろうとするまでは全てが伏せられている世界(もしかして永久に)。もしくは何人の意志も働かない世界
、、かも知れない。思考の途中を長いので端折るけど
全ての因果が見えていると、努力をする自分もしない自分も同じになる。そんな高次の世界は果たして「素晴らしい」のか?
次元の増加に応じて現象対象も複雑豊かに成らないと結局は自己選択が1+1=2を延々と繰り返すような世の中じゃ詰まらないんじゃないかな
なるほど、わからん。
なるほど…ややこしくなってるがQBox理論は簡単に言えば結果と意思。つまり物理と精神の見えない橋渡しのようなものが特定条件で存在し、例えば以心伝心。相手が何を考えてるのか瞬時に理解し結果を変えてしまうあり様はA→B→CではなくA→Cのように時間を超越する現象になる訳だが見えない互いの状況を想定しない限り説明にたどり着かない訳だ。それを量子世界で紐付ける必要があり見えてない世界をどう捉えるのか?。見えないから分からないというのが今までであり今後はこの分野の概念が必要なのは必然なのだろう。水面下の波の動き…面と胎動の連動性。点だけでは不十分。人間の想像力が試されるステージに入ったという訳か。
過去と現在は同居する、現在は過去データが書き換えされた量子データの様な現象であり、過去のデータの上に形創られている。過去へのタイムトラベルしたと言う人がいるが、実際は人間の神経系が過去データを知覚したものであり、タイムトラベルにより現在とリンクしたデータを書き換えることは不可能。なぜなら
時間と空間、座標軸があり過去と現在は別物と考えているようだが、過去と現在は同一物である。物理的世界観の中で人間は、過去と現在の変化を認識する事で時間を創り上げ認知している。
人または生命は物理的空間世界を認知し変化するジプシーの様な存在。
人が見ている現実は、人が創り上げた現実かもしれない!
過程の結果ではなく、結果と言う過程であって過程と言う結果ってのが混在してるのかな?