身を守る備えを捨てた菌が、研究室ではいちばん強かった

答えは、直せないこと自体にはありませんでした。
変異が増えれば当たりも出ますが、役に立たない変化や有害な変化のほうが、はるかに多く増えます。
壊れた修理係そのものは、持ち主を有利にはしないのです。
この菌を勝たせていた大きな理由は、失ったほうの性質でした。
硬い殻をこしらえるには材料とエネルギーがいりますし、作っているあいだは増えるのが遅れます。
こまめに新しい餌が足され、寒さも乾燥も来ない培地の中では、その備えは出番がありません。
しかし実験室での培養では備えを捨てて増えることだけに回した菌が、同じ時間でより多く増えるというアドバンテージを得ることができたのです。
また飼いならされたのは菌の暮らしぶりであって、毒そのものではありません。
家畜化された株は同じ毒をとびぬけた量で吐き出しつつ、胞子を作らないぶん工場でも扱いやすい、製薬向きの体になったのです。
この読みは、植え継ぎの間隔を変えた追加の競争でも裏づけられました。
1日ごとに新しい培地へ移すと、ホール株は野生株を絶滅させました。
ところが5日ごとにすると、両者は共存したのです。
放っておかれる時間が長くなるほど、殻にこもって待てる力のほうが効いてきます。
殻を作るかどうかは、増える速さと飢えに耐える力の取り引きです。
そしてどちらが有利かを決めていたのは、人間が培地を移し替える間隔でした。
そして、殻を捨てるような当たりが生まれる材料をあふれさせていたのが、壊れた修理係でした。
細菌はクローンで増えるので、当たりの変異と、変異を増やした故障は、同じDNAの上に乗ったまま切り離されません。
当たりが広がれば、故障も一緒に広がっていきます。
壊れた修理係が90年も居座れたのは、この便乗によるものだろうと研究チームは述べています。
有利だったから残ったのではなく、有利なものに乗って残ったのです。
共著者のリチャード・レンスキー氏が1988年から続けている大腸菌の長期実験でも、変異が速くなった集団の適応は、わずかに速まっただけでした。
変異がいくら増えても、それだけで進む先が決まるわけではありません。
行き先を決めていたのは、培養皿とフラスコ、そして人間の手でした。
90年を重ねたこの菌の代謝のしくみは「自然界で生きるのではなく、実験室で生きるために微調整されている」と、筆頭著者のポール・ケイム氏は述べています。
ただし、どの変化が殻づくりを止めたのかは、研究チーム自身、特定できないと明記しています。
それでも、この株が実験室向けの体になっていること自体は、何度も確かめられています。
殻を作れないことも、変異が桁違いの速さでたまることも、野生株との競争に圧勝することも、どれも実際に測られた結果です。
この話は、生きた菌に作らせる薬すべてに関わってきます。
薬を生み出している菌自身が、作り続けるあいだにも変わっていくからです。
毒の使い道が缶詰の災厄から美容にまで変わっていくあいだに、その毒を作る菌自身も、人間が用意した世界へ作り変えられていたのです。





菌も人の手中に収まればのびのび育つってことね