最短の待ち時間を決めていたのは何だったのか?
研究チームが導いたのは、熱平衡にかかる時間の下限です。
マシンが、どんなエネルギーの式の相手でも熱平衡にできることを求める場合、あるいは少なくとも、エネルギーの段差が温度に比べて小さく、十分に混ざり合った熱平衡の状態になる相手をどれも熱平衡にできることを求める場合、その時間はおよそ ℏ/(2kBT) より短くできません。
ℏ は量子力学に欠かせない換算プランク定数、kB は温度とエネルギーを結びつけるボルツマン定数、T は温度です。

一般の下限には、対象とする相手の範囲や許される誤差で変わる係数が付きますが、この条件のもとでは、下限は2つの自然界の定数と温度だけで書けるのです。
下限の2倍にあたる ℏ/(kBT) は「プランキアン時間」と呼ばれ、以前から熱平衡の速さを縛る目安だと予想されてきた時間です。
この「散逸のプランク尺度」という考えは、もともと物理学者のザーネンさんが、ある温度より上での超伝導体の電気の通しやすさに見られる共通のふるまいを説明するために言い出したものです。
熱平衡からのずれを少し許しても、下限はあまり縮みません。ずれが5%ほどでもプランキアン時間の約0.4倍、20%ほどでも約0.3倍の下限が残ります。
冷蔵庫の設計も、マシンの大きさも、物とのつながりの強さも、この下限には出てきません。
温度は式の分母にあるので、温度が半分になれば下限は2倍に延びます。

冷たい世界ほど、熱平衡にたどり着く最短時間が長くなる、ということです。
では、なぜこのような壁が生まれるのでしょうか?
鍵は、マシンが少しずつ違う相手を、それぞれの正しい熱平衡へ運ばなければならない点にあります。
エネルギーの式が違えば、たどり着くべき熱平衡の状態も少しずつ違います。
マシンは同じ手順を動かしながら、相手ごとに見分けのつく別々の状態を作り出さなければならないのです。
ところが量子力学では、エネルギーの式がわずかに違うだけの物どうしは、すぐには大きく違う状態へ分かれていけません。
どこまで分かれられるかには、かけた時間に比例する上限があるのです。
これは、量子の世界で物の性質を測るときの精度の限界「ハイゼンベルク限界」と、根は同じです。
研究チームは、誤差なく熱平衡にする場合については、熱平衡化マシンでもこのハイゼンベルク限界は破れない、という点から下限が導けることを示しました。
チームは、この課題が情報科学でよく調べられてきた2つの課題の中間にあると説明しています。
エネルギーの式が分かっていれば、それに合う熱平衡の状態を作る作業(ギブス状態サンプリング)は、いくらでも速くこなせます。
逆に、式を知らずに物を調べて式を突き止める作業(ハミルトニアン学習)には、かかる時間に下限があります。
今回の課題は、式は知らないが物は手元にあり、熱平衡の状態を作りたい、という立場です。
ウィーンの量子光学・量子情報研究所のパオロ・アビウソさんはこれを2つの中間の課題だと説明し、バルセロナの共著者ジョン・カルサミリアさんは、前者より難しく後者よりやさしい課題だと位置づけています。

また、量子力学を外してすべてを古典力学で扱えると仮定すると、この最短時間はゼロになってしまうといいます。
どんな装置でも越えられない最後の壁は、量子力学そのものが作っていたのです。




