起死回生の「月面着陸」
NASAの「月面着陸」はとにかく問題が山積みで、ミッションの存続も危ぶまれる中で行われました。
当時、アメリカはソ連との熾烈な宇宙開発競争において、ほとんどすべての面で遅れを取っていました。1957年にソ連が打ち上げた人工衛星「スプートニク1号」の成功は、NASAが創設されたキッカケでもあります。また、有人飛行でもガガーリンの乗った「ボストーク1号」に先を越され、「EVA(船外活動)」を成功させたのもソ連が最初だったのです。
こうして苦杯をなめ続けたNASAは、ソ連もいまだ成し遂げていない「月面着陸計画」を打ち立てます。しかし危険な任務の中で、ニールは次々と仲間を失っていきます。また度重なる失敗により、国民から「税金を無駄にするな!」と大ブーイングを受け、NASAは窮地に追い詰められてしまうのです。
「アポロ計画」とは、そんな崖っぷちの中でのチャレンジでした。