死への恐怖と家族への愛がゆえの行動
この発見は、1700年終盤から1800年代初頭にかけて、ニューイングランド地方の特にコネチカット州やロードアイランド州で人々の間に広まった吸血鬼信仰と、結核の流行の関係に光を当てるものです。
当時、結核は原因不明の恐怖の病でした。顔色を失い痩せこけた患者が、口の端に血を滲ませながら壮絶な咳に苦しむ様子に恐れおののいた人々は、結核で亡くなった人々が墓を抜け出し、家族や親類に病気をうつしては血と命を吸い取ってしまうのだと信じていました。
このため、墓に埋められた遺体は、再び掘り起こされて「二度」殺されなければなりませんでした。この「治療的発掘」を行うのは、家族の役目でした。ニューイングランドの僻地では、こうした例が80件も報告されています。
ヴァンパイアを殺す方法は、掘り起こした遺体の心臓に液体の血が残っているかどうかを調べるというものでした。もし残っていれば、亡くなった人はヴァンパイアである確率が高いと判断されます。取り除かれた心臓は焼かれ、家族は時にさらなる病気を防ぐためにその煙を吸い込むこともあったそうです。
次々と家族が倒れ、それを食い止める術が無い状況の中で、死の連鎖を断ち切る唯一の手段がこれだったのです。進んでこれを行いたがった人はもちろんいませんでしたが、彼らはただただ、まだ残されている命を必死に守ろうとしました。
しかしこのような手段を取っておきながら、当時の人々は結核にかかった家族の一員が、他の家族と一緒に食事の席についたり、同じ部屋で寝たりといったことが普通に行われていました。彼らはまだ、病気の伝染についての知識を持ち合わせていなかったのです、
ジョン・バーバーの遺体も、埋葬後4〜5年が経過してから掘り起こされた遺体の1つでした。掘り起こされた時、心臓がすでに分解されて残っていなかったために、胸骨が壊され、頭蓋骨と大腿骨の配置が変えられたのではないかと見られています。
故障した首の骨が治療されずにそのままになっていることや、膝に関節炎の跡が残っていることなどから、彼が下位中産階級に属する働き者の農夫だったことが伺え、その肋骨に残る痛々しい傷跡は彼の最期が壮絶なものだったことを物語っています。
暑さに参ってしまいそうな今日この頃、背筋をヒヤリとさせる歴史の一幕でした。