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歴史で学ぶ量子力学【3】「神はサイコロを振らない」 (5/5)

2020.03.29 Sunday

前ページ不確定性原理の登場

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コペンハーゲン解釈

ハイゼンベルクにとって、不確定性原理は自信作の理論でした。

しかし、これをボスであるボーアに話したところ、「どうも違う」と否定されてしまします。

ボーアはこのとき、シュレーディンガー方程式と行列力学が数学的に等価であり、波動と粒子の二重性が同時に成り立つという量子力学の問題について考えていました。

しかし、ハイゼンベルクの理論はあくまで電子は粒子であって、不確定性も小さな電子にガンマ線などの別の粒子を衝突させることで発生するという説明の仕方をしていたのです。

ボーアにとって電子や光子の二重性はもはや除外することのできない問題でした。電子は粒子か波動かのどちらかを選択したのでは説明できないと理解していたのです。

そのため、ボーアはこの理論は多分正しくないから発表しない方がいいと、許可してくれませんでした。

ハイゼンベルクは悔しさのあまり、ボーアの目の前でぽろぽろ泣き出してしまったといいます。

上司や先生が分からず屋で許可をくれない、という悩みを経験した人は多いかもしれませんが、ハイゼンベルクもそんなことに悩んでいたのです。

しかしボーアが、シュレーディンガーの波動方程式を取り入れることで、不確定性のいくつかの問題が説明可能であることを示すと、ハイゼンベルクもそれを認めざるを得なくなりました。

正直ハイゼンベルクはシュレーディンガーの理論を取り入れることは気に入らなかったのですが、そこは妥協して修正した論文を発表します。

この論文は高く評価され、ハイゼンベルクはこの成果から正教授の職を得て、コペンハーゲンの研究所を後にしました。

ちょっとしたしこりを残して、研究所を去る事になったのでハイゼンベルクは、ボーアに恩知らずな印象を与えなかったか気にしていました。

でも、ボーアはハイゼンベルクの才能も不確定性原理も高く評価していて、アインシュタインにも意見を求める手紙を書いていたくらいなので、心配は無用だったでしょう。

ボーアはその後、相補性という自らのアイデアを核にして、波動と粒子という二重性の問題を1つにまとめようと奮闘します。

相補性とは、全く相容れない波動と粒子の性質のどちらか一方しか我々には見えないが、電子と光子はその両方の性質を排他的かつ相補的に持っているという考え方です。

これはどういった観測の仕方をするかが、電子の波動、粒子いずれかの性質を決定するということを主張していました。

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電子の性質を決めるのは実験デザインだとボーアは考えました。/Credit:Photonてらす,浜松ホトニクス株式会社

ボーアはこの説明に不確定性の関係を持ち込んで、位置と運動量、粒子と波動などが互いに排他的でありながら、相補的な関係を同時に観測できないのは、自然界に備わった限界なのだと説明しました。

ハイゼンベルクはこの考えをあまり好いておらず「あんな考え方をすれば矛盾なく説明できるのは当然です」とパウリに愚痴ったといいます。

1927年イタリアで開催された国際物理学会で、ボーアはこの相補性の考えを初めて公式に発表します。

そして、その講演で不確定性原理やシュレーディンガー方程式、ボルンの確率解釈など様々なアイデアを混じり合わせた複雑な量子力学の基礎となる解釈を語ったのです。

それは、これまでの量子力学の発見を全て取り入れた、1つの到達点と呼べるものでしたが、ハイゼンベルクさえ戸惑いを覚えるような解釈でした。

物理学者たちは、このときボーアが語った大量のアイデアが混じった複雑な考えのことを後に「コペンハーゲン解釈」と呼ぶことになります。

それは要約すれば、「物事の状態は観測されるまで決定されることがない」ということを意味していました。

歴史で学ぶ量子力学(最終章)につづく……
【編集注】
「3分割だと言ったな。あれは嘘だ。いや本当に申し訳ない…」
記事内容に一部誤字があったため、修正して再送しております。(2020.06.17 11:00)

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