「中世の大虐殺」を証明か
貧困や病気以外に、撲殺された遺骨が数多く出土しました。
中でも特に、裕福な位にあったと思われる3人の男性の遺骨が注目されています。年代測定では、3人ともに1168〜1208年の間に殺されており、刃物や鈍器による致命傷を受けていました。
その内のひとりは、ノコギリ状の刃物で頭蓋骨に傷を受けており、前腕骨にも細かい傷が無数に見られます。おそらく、身を守ろうとして腕で刃物を受けたのでしょう。
2つ目の遺骨は、鈍器でアゴを打ち砕かれており、歯の多くが抜け落ちていました。3つ目の遺骨は、頭蓋骨に陥没した穴が見られました。傷は脳まで達したことが確実で、即死だったと思われます。
3人ともそれ以前の傷がないことから、兵士や軍人ではないでしょう。遺骨の側に銀のブローチやバックル、銀貨などが見られたことから、この町の富裕層か権力者だった可能性があります。
こうした証拠から、中世ドイツの「アルブレヒト熊公(Albert the Bear)」による大量虐殺が浮かび上がります。
アルブレヒト熊公は、1100年頃〜1170年に生きた権力者で、1157年にドイツ東方への侵略を開始しました。「その東方侵略の中で、同地の権力者や住民たちが虐殺されたのではないか」と研究チームは指摘しています。
「死人に口なし」とは言いますが、残された遺骨が何よりも雄弁に虐殺の事実を語っているようです。