「3人殺すまで処女のまま」、少女はスキタイの女戦士?
戦士の遺体は、1988年にアジア中央部・トゥヴァ共和国のサリグ・ブルン(Saryg-Bulun)で発見されました。
木製の棺に収められた遺体は、毛皮のコートで包まれ、一部がミイラ化して残っています。
発見者の考古学者マリーナ・キルノフスカヤ氏(サンクトペテルブルク物質文化研究所)は「当初、遺体が若い男性であることに疑いを挟む人はいなかった」と話します。
ところが、モスクワ物理技術研究所による遺伝子解析の結果、まだ14歳にも満たない少女であることが特定されたのです。
この驚くべき事実から、研究チームは「スキタイ文明に存在した女戦士の一人である可能性が高い」と考えます。
シベリア南部に起源を持つスキタイは、BC9〜BC2世紀頃まで栄えたイラン系遊牧民で、女性の地位が高かったことで有名です。
その風習には、女神に仕えるため去勢された男性たちがおり、「エナレス」と呼ばれていました。そして、男装した女戦士も多く、幼い時から戦闘訓練を受けていたという記録が残っています。
古代ギリシャの著名な医師ヒポクラテス(BC460〜370)は、残された記述の中で、「スキタイの女性は、処女である限り、馬に乗り、矢を放ち、槍を投げ、敵と戦う。彼女らは敵を3人殺すまでは処女を貫き、結婚もしない」と書いています。
少女の遺体は革製の帽子を被り、ひざ下にはトビネズミの毛皮から作られたコートが見られました。
この他に、木製の長い柄がついた斧やカバ材で作られた1メートルほどの弓、10本の矢(それぞれ70センチ)が入った矢筒など、武器一式も一緒に埋葬されています。
調べによると、矢先の種類は2本が木製、1本が骨、残りが青銅製でした。