九州北部より「四国・近畿」の方が”渡来人”に近いことが判明
さらに、47都道府県を対象に主成分分析を行いました。
主成分分析とは、データの指標(次元)が多すぎる場合に、わかりやすく全体を1〜3次元にまとめるデータ解析法のひとつです(詳しくはこちらから)。
その結果、第1主成分は、沖縄県と46都道府県との遺伝的距離を反映していました。
図を見ると、沖縄県と遺伝的な最も近いのは鹿児島県で、次いで九州と東北も近く、最も遠いのは四国と近畿でした。また、四国・近畿地方は、地理的に近い九州北部よりも、中国・北京の漢民族と遺伝的に近縁であることが判明しています。
それから、第2主成分は、各都道府県の緯度・経度と強く関係していました。
この結果は、「縄文人と渡来人の混血の程度」と「地理的位置関係」が、本土人の遺伝的な地域差を形づくっている原因であることを示します。
従来は、本土人のDNAの8割は渡来人由来とされていますが、四国・近畿地方では、もっと多くの渡来人が流入していたのかもしれません。
このデータを応用すれば、日本列島における縄文人と渡来人の混血の歴史がより詳しく理解できると期待されています。
遺伝子の分析結果は、朝鮮半島から日本列島に、数十万以上の大陸人が移住し、関西四国中国を中心に定住したことを示している。この推定が正しくなければ、朝鮮人と現代日本人の遺伝子が酷似していることを説明できない。後漢の末期、朝鮮半島北部は中国の植民地楽浪郡が設置されており、朝鮮半島には、数多くの漢民族や朝鮮民族の祖先が定住し、混血化も進んでいたと思う。では、大量の移民集団は、いつ頃、日本列島に移住したのかだけが問題となる。黄巾の乱などで混乱する2世紀末なのか、それともそれ以前なのか?かって京都大学の小林行雄は、大陸からの移民集団を明確に否定していたが、彼の説は誤りだったとしか言えない。むしろ、現在否定されている江上教授の征服王朝論は、騎馬民族ではないにせよ、再度光が当てられるべきだと思う。