死海文書が「20世紀最大の発見」と言われる理由
死海文書が初めて発見されたのは1947年のこと。場所は、死海北岸にあるクムラン遺跡近くの洞窟内でした。
これまでに約970の断片が見つかっている死海文書は、BC250〜AD70年の間に書かれたとされる最古の聖書の写本群です。
以前まで知られていた最古の写本は、AD925年頃のアレッポ写本でしたが、死海文書の登場により、1000年以上も遡ることとなりました。
そのため、聖書写本の変遷を追うことのできる文書として、「20世紀最大の考古学的発見」と呼ばれるようになります。
死海文書は、クムラン教団と呼ばれる当時の宗教団体により書かれたとされ、内容は大きく3つに分かれています。
1つは「ヘブライ語聖書 正典本文」、もう1つは「旧約聖書外典」と「偽典」と呼ばれる文書群、そして「宗団文書」というクムラン教団の儀式書です。
その多くが羊皮紙に、一部がパピルスに記載され、文字の大部分はアラビア語、その他に今回のようなギリシャ語やアラム語も使用されています。
その一方で、内容の解釈は、断片の欠落や、どの断片がどの位置に来るかで意見が分かれており、曖昧なままです。
さらに、お金目当ての違法盗掘も多く、死海文書のいち早い発見と救出が急がれています。