当時のイタリアでは決して「低身長」ではなかった?
ミケランジェロは、芸術のあらゆる分野で傑作を世に残しました。
彫刻では、フィレンツェにある『ダヴィデ像』(1504年)、天井画では、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂にある『天地創造』(1508〜1512年)、祭壇画では、同じ礼拝堂にある『最後の審判』(1536〜1541年)が代表的です。
彼は、存命中に伝記が出版された初めての西洋美術家であり、それもあってか、かなりの記録文書や私物が残されています。
今回、イタリア・アーヴォラにあるFAPAB(法医人類学・古病理学・生体組織学)研究センターのチームは、ミケランジェロの死後に彼の自宅で発見された3足の靴を対象に調査しました。
革靴が一足と革製のスリッパが一つ(もう片方は1873年に盗まれている)で、3つともフィレンツェにあるカーサ・ブオナローティ美術館(Casa Buonarroti Museum)に所蔵されています。
本研究は、生前の履物と衣服などの測定値に基づいて、ミケランジェロの身長を推定した初の試みです。
分析の結果、ミケランジェロの身長は、5フィート2インチ(約157.5センチ)であったことが示されました。
今日におけるヨーロッパの成人男性としてはかなり低い数値ですが、研究者らは「ミケランジェロが生きていた15〜16世紀のイタリアでは、珍しくなかったのかもしれない」と述べています。
この結果は、同時代の芸術家であるジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)が書いたミケランジェロに関する記述と一致します。
ヴァザーリによると、ミケランジェロは「肩幅が広いが、全体的に細身の体格で、身長は平均的であった」とのこと。
これはミケランジェロが小柄であった点と、彼の身長が当時は普通であった点を裏付けています。
また、ミケランジェロ自身の著書や描かれた肖像画などから、晩年に健康を害していた可能性があり、痛風や鉛中毒、重度の関節炎などを患っていたと考えられています。
そのため、今回の結果は、ミケランジェロが88歳で亡くなる直前の身体状況を反映している可能性があり、若い時はもう少し大柄だったのかもしれません。
それでも今日からすると、美の巨人の身長がかなり低かったことに変わりはないでしょう。