匂いは感情を運ぶ
近年の生物心理学の進歩により、ヒトの体から発せられる匂い(化学的な信号)が他者の心理に大きな影響を与えることが次々に明らかになってきました。
例えば、腐敗した死体から発せられる化学物質「プトレシン」の匂いが、ヒトに突然の恐怖を感じさせることがわかっています。
また別の研究では、ストレスを感じた人間から発せられる化学物質が、感情を処理する脳領域を活性化させていることも示されています。
しかし恐怖や感情処理は、あくまで精神的な変化であり、実際の社会的行動でどのような変化を起こすかは不明でした。
そこで今回、研究者たちは嗅覚が社会的行動に与える影響を調べるため「不安の匂い」を利用することにしました。
実験の第1段階は不安を空気伝染させるために必要な、化学物質の採取です。
といっても方法は非常に原始的でした。
22人の男性に対して不安をあおる「面接」などの場面を経験してもらい、たっぷりワキアセをかいてもらうというものです。
その間、別の214人の被験者(男女含む)に対して2つのゲームを行ってもらいました。
1つ目は人間のプレーヤーが対象であると告げられた投資ゲームです。
ゲームは非常にシンプル。
被験者は投資家として相手にお金をわたすと3倍になるというものです。
ただ3倍になったお金を、相手の人間が自分にどれだけ払ってくれるかは「お互いの信頼関係」にかかっていました。
最悪の場合、投資金ごと全て持ち逃げされる可能性がありますが、ゲームを続ける限り、被験者も相手の人間も継続的に利益を得られる「Win-Win」な関係にあるため、あえて持ち逃げする意義はありません。
このゲームでは、相手をいかに信頼し大きな投資を行うかが、最大の利益を得る鍵になります。
もう1つのゲームは、内容はほとんど同じながらも、相手はコンピューターだと告げられます。
そして3倍になったお金をどれだけ自分に渡してくれるかはランダム(0倍から3倍)でギャンブル要素(リスク)があるゲームでした。
しかし、こちらも続けるうま味はあります。結果が本当にランダムならば期待値は1.5倍。
理論上、続ければ続けるほど被験者(投資家)は儲かります。
こちらのゲームでは、多少の損失を覚悟しても、お金を張り続けて「リスクをとる覚悟」が最大利益の鍵になります。
研究者たちはこの2つのゲームをそれぞれ「信頼ゲーム」「リスクゲーム」と名付けました。
そして被験者たちがゲームに慣れたことを確認すると、研究者たちは次の実験段階に移行します。
同じゲームを、ワキアセの匂いを含む、さまざまな匂いをかいでもらいつつやってもらうのです。
なお、当然ながら、被験者たちに嗅がされる匂いの正体は(ワキアセを含めて)全て伏せられています。
しかし結果は非常に興味深いものになりました。
不安な男性から採取されたワキアセには、ヒトの社会的行動を変化させる力があったのです。