「脳の電気代」が美を制御している

美しさを「脳の電気代」で語る――ずいぶん身もふたもない話に聞こえます。
しかし考えてみれば、脳は体重のごく一部なのに、全身のエネルギーの約2割を消費する“燃費の悪い臓器”です。
スマートフォンが動画で電池を減らすように、脳も「見る」だけでコストがかかります。
そして生き物は、得をするために損をしないという、当たり前の財布感覚のもとで生きています。
人類の進化にとってエネルギー効率は死活問題ですから、脳は何とか負担を減らそうと工夫を凝らしてきました。
もしかすると「楽に処理できる映像」を好むようにできているのかもしれません。
言い換えれば、「目に優しい(処理が簡単な)画像」を見るとき、私たちは快適さや美しさを感じるよう進化した可能性があるのです。
「そんなことはない」と言いたい人もいるでしょう。
しかし実際、私たちは“目が疲れる画像”と“なぜか落ち着く画像”を知っています。
派手な模様やごちゃごちゃした画面を見続けると、頭が重くなることがあります。
一方で、すっと形が入ってくる景色や、見やすいレイアウトには、理由は分からなくても好感が湧きます。
美がどこか高尚な感情だとしても、その入口には「見やすさ」という庶民的な関門が立っているようにも見えます。
数学の世界でも「シンプルな式ほど美しい」と言われるのを聞いたこともあるでしょう。
そこで今回、カナダ・トロント大学の研究チームは「脳のエネルギー消費」という観点から美の謎に切り込む実験を行いました。
彼らは日常的な物体や風景を写した約5,000種類の写真を用意し、インターネット経由で募集した1,000人以上の参加者に各写真の「見ていてどれくらい心地よいか(美的な好ましさ)」を5段階評価してもらいました(各画像あたり平均50人が評価)。
さらに同じ画像セットを視覚モデルとして訓練済みのAI(人工知能)に見せてモデル内で「処理の重さの目安」を計算し、加えて一部(4名)の被験者については機能的MRI(脳活動を計測する装置)の既存データで、脳がどれくらい強く働いたかを示す指標(BOLD信号)も調べました。
結果、まず人工知能モデルの解析では、学習済みモデルにおいて「多数の人が好んだ画像ほど、モデル内で活性化したユニット(計算の部品)の数が少ない」という負の相関関係が確認されたのです。
言い換えれば、モデルが「少ない活動量で処理できる画像」ほど人間の評価も高かったということです。
一方、未学習モデルではそうした関係が学習済みほど安定しては見られませんでした。
経験を積んでいない人工視覚では、画像の好み度と“脳の電気代”の関係がはっきりしなかったのです。
つまり、“節電美学”とも呼ぶべきこの傾向は、「見慣れた目」だからこそより強く現れやすいものだったのです。
人間の脳でも、ほぼ同じ傾向が観測されました。
被験者の脳画像を分析すると、視覚系の複数の領域で画像ごとの活動量と美しさ評価との間に負の相関が見られたのです。
具体的には、視覚野など低次レベルの領域から、高次の領域に至るまで、「美しい」と評価が高い画像ほど各領域の活動が低いという傾向が多くの領域で確認されました。
人がある画像を「とても好きだ」と感じているとき、脳の視覚処理エリアは意外にも静かに省エネ運転していたのです。
では、なぜ脳にとって負担の少ない映像を見ると私たちは「美しい」「好きだ」と感じるのでしょうか。
研究者たちは、この現象を「脳がエネルギーを節約するための情動ヒューリスティック(感情で素早く判断する近道)」だと考えています。
ヒューリスティックとは、私たちが無意識に使っているお手軽な判断基準のことで、脳は長い進化の中で「エネルギーをなるべく無駄遣いしない」よう報酬システムを調整してきた可能性があります。
言ってみれば、脳は大変な処理を強いられる映像よりも、「サクサク情報を処理できる映像」を見たときにご褒美を与えているのかもしれません。
その結果として、見るだけで楽に処理できる画像に対して私たちは「なんだか心地よい」「つい見とれてしまう」と感じるわけです。
「美しい」と感じる基盤には色彩や構図など様々な要素がありますが、今回そこに脳内エネルギー効率という一本の筋が通った形です。
この知見が社会にもたらすインパクトは大きいでしょう。
例えばデザインや芸術の分野では、「人間の脳が負担を感じない画像」が一つの評価基準になる可能性があります。
将来的には、視覚的に心地よい広告やインターフェースを作る際に、脳のエネルギー指標を用いて客観的にデザインを最適化することができるかもしれません。
また、人によって異なる「美の感じやすさ」を脳活動から読み取る技術が発展すれば、個人に合わせてリラックスにつながる可能性のある映像コンテンツを提供することも夢ではないでしょう。
ただ、ここで誰もが思う反例があります。
もし「省エネ=美」なら、真っ白な壁こそ究極の美になってしまうはずです。
なのになぜ私たちは白い壁を最高の芸術品と思わないのでしょうか?



























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