日本最大級の「宝永地震」を超える南海トラフ地震が発生していた?
橋杭岩は、和歌山県串本町の東岸に位置する巨岩列で、南北にかけて一直線に並んでいます。
その西側には、泥岩でできた平坦な波食棚(海の波の作用により削られて平坦になった地形)が広がり、その上に、橋杭岩と同じデイサイト(火成岩の一種)の巨礫が1000個以上も散らばっています。
このことから、巨礫の数々は、なんらかの理由で、橋杭岩から分離したものと見て間違いありません。
また、巨礫の多くは、橋杭岩からかなり離れた場所まで広がっており、単に分離して自由落下しただけではないと思われます。
つまり、これらの巨礫は、地震にともなう津波によって現在の位置まで運ばれたと考えられるのです。
そこで産総研の研究チームは、まず分布する1311個の巨礫の位置やサイズを詳しく記録。最大級のものだと、長径7メートルに達するものがありました。
中には、台座状の泥岩の上に乗っかった巨礫も散見されています。
これらは、巨礫周辺の岩盤面が風化や波によって削りとられ、高度を下げたのに対し、巨礫すぐ下の岩盤面が、そうした侵食作用から免れた結果です。
研究チームは、これについて「巨礫が比較的長期間その場所にとどまった証拠である」と説明します。
次に、巨礫の数々が、1707年の宝永地震の津波によって動くかどうかをシミュレーションしました。
条件として、橋杭岩から水平距離で15メートルの範囲にある巨礫は、単に橋杭岩から自由落下しただけとみなし、それ以外の計1103個の巨礫を調査対象としています。
シミュレーションでは、コンピューター上で模擬的に津波を発生させ、その高さや流速を計算。
加えて、巨礫にかかる海水からの流体力と、巨礫と地面との間の最大静止摩擦力を計算し、「流体力が最大静止摩擦力を越える場合にのみ巨礫が動き出す」という判定を行いました。
その結果、シミュレーションにおいて多くの巨礫が動いたのですが、特に大きな巨礫など、動かない巨礫も数多く存在することがわかりました。
これはつまり、宝永地震よりも大きな津波が過去にこの地を襲った可能性が高いことを示唆します。
それでは、どれほどの規模の津波であれば、これらの巨礫を動かすことができるのでしょうか?
チームは、仮説の一つとして、紀伊半島の南東沖合にあるプレート境界の「分岐断層」の活動を考慮しました。
分岐断層とは、震源となる主断層から分岐して動く断層のことで、ここでは、プレート境界のある場所から海底に向かって分岐する断層を指しています。
そして、1707年の宝永地震の津波モデルに加え、同時にこの分岐断層も動いた場合を想定すると、すべての巨礫が動く結果となりました。
さらに別の仮説として、宝永地震における断層面上のすべり量を2倍にして計算したところ、一部が動かないままであるものの、大部分の巨礫が現在の位置まで移動する結果が出ています。
いずれにせよ、これらの結果は、国内最大級とされる1707年宝永地震を上回る巨大地震が発生していたことを示唆します。
南海トラフ沿いの地震は、過去数千年以上にわたって繰り返し発生しており、この巨大地震がいつ起きたのかはわかっていません。
産総研は今後、地質サンプルの年代測定などにより、その自信や津波の発生時期を解明する予定です。
来たる南海トラフ巨大地震の防災計画を整えるためにも、こうした研究データは非常に重要な情報となるでしょう。
地震ではなく近くの海山や海底の崖が大規模に崩れたのかもしれませんね。
また、沖縄の島の山の上に津波によって運ばれた大きな石があるらしいですが、これとの関係もあるかも。南海トラフと琉球海溝はつながってるから。
津波によって運ばれてきたという根拠は無いですよね。
海って言うのは砂なんですよ。岩が運ばれてくるってことは無いです。
元々そこに岩があって潮風で削られてそういう形になっただけでしょう。
そもそもそのシミュレーション自体が根拠が無い仮定の計算ですよね
そもそも宝永地震ってどうやって測ったんですか?1400年の時は測れなかったけど1700年の時は測定できたという主張ですが、その当時も1400年と同じように測定する機材は無かったはずですが
しかも日向灘は南海トラフのプレートで過去200年で何度もM7以上の地震を起こしていますが、それより東側は起こしていません。どちらも300年で9M沈み込んでいると言われています。こんなに沈んでいるのに東側では地震が起こらないと言う事は、地震を起こさない沈み込みをしているのではないでしょうか?
つまり宝永地震というのは現代の小説とか漫画の様な作り話が伝説として伝わっているだけの可能性があります。