新石器時代に「戦争」の基礎ができあがった?
現生人類(ホモ・サピエンス)は約20〜30万年前に登場しますが、それから約1万3000年前までを「旧石器時代」とします。
この頃、人類は簡単な石器を使って狩猟採集を営んでいましたが、その末期は最終氷期(約7万〜1万年前)にぶつかり、とても厳しい時代でした。
氷期が終わって気候が温暖になると、植物が繁茂し、動物も急増したため、人類の間では狩猟採集がさらに活発になります。
この時期が「中石器時代」です。
ヨーロッパにおける中石器時代も、基本的な社会形態は移住型の狩猟採集でした。
あちこちに移動していたので遺跡も稀であり、貝塚が所々に見つかっているばかりです。
その後、ヨーロッパでは約9000年前の紀元前7000年頃に農業が現れ始めました。
これ以降を「新石器時代」のスタートとします。
主に狩猟採集から農耕牧畜へと移行期として知られますが、専門家によると、その動きは緩慢でゆっくりとしており、人々の生活もまだ小規模で慎ましく、コミュニティ間の争いもほとんどない「平和な時代」だったとされています。
しかし本研究では、それと大きくかけ離れた事実が示されました。
研究チームは今回、新石器時代の遺跡が世界で最も集中していることで知られる北西ヨーロッパに焦点を当てました。
研究では、北西ヨーロッパで見つかった約8000〜4000年前までの遺跡およそ180カ所から出土した2300体以上の初期農耕民の遺骨を分析。
遺跡の所在地は、今日のイギリス、フランス、ドイツ、スペイン、スウェーデン、デンマークなどにあたります。
その結果、対象とした遺骨の10%以上に、鈍器あるいは石斧で頭部や他の部位を殴打された傷跡が確認されたのです。
また、矢による貫通の傷も数例見つかりました。
さらに遺跡の中には、傷跡を負った遺骨が大量に埋葬されていた場所もあり、コミュニティの大部分が何らかの集団により襲撃されたことを示していました。
つまり、個人間の争いだけでなく、より規模の大きい集団間の紛争が存在していたことを意味します。
チームは今回のデータをもとに、新石器時代の北西ヨーロッパにおける「個人レベルの暴力(赤)」と「集団レベルの紛争(青)」の発生地をマッピングすることができました。
それがこちらです。
これを見ると、個人間の暴力だけでなく、集団間の紛争もかなりの数見られることが分かります。
チームはこの結果を受けて、「新石器時代は平和的な協力関係にあった」とする従来の定説に反し、暴力と紛争が横行し、正式な戦争の基礎が築かれた可能性があると述べました。
それ以前の時代に反し暴力が横行し始めた理由について、研究主任のマーティン・スミス(Martin Smith)氏は「最も妥当な説明は、社会の経済的基盤が変化したことでしょう」と推測。
「農耕の始まりによって富の所有と不平等が生じ、持たざる者たちが資源の略奪や集団暴力に手を染めたと思われます」
スミス氏の指摘は、長らく主張されてきた説と一致するものです。
つまり、定住農耕が始まると、収穫した作物は個人やコミュニティのものとなります。
その収穫量に応じて、富を多く持つ人々と持たない人々が生まれ、貧富の差につながり、やがては個人間あるいは集団間の略奪と暴力を生むことになるのです。
こうして人類における戦争の基盤が出来上がります。
新石器時代はその最初のきっかけとなった時代なのかもしれません。