一夜にして海に沈んだ「ラングホルト」の伝説とは?
失われた都・ラングホルトは、数世紀にわたり伝説として語り継がれてきました。
歴史的な文献も数多く残されており、考古学者らも「ラングホルトは単なる伝説上の存在ではない」と広く受け入れています。
記録によると、ラングホルトは14世紀のデンマーク領シュレスヴィヒ公国の沿岸部に位置した都市だったようです。
今日では、ドイツ領のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の西海岸沖に当たります。
これまでの研究によると、ラングホルトはその港湾都市としての地位から近隣諸国との貿易が活発であり、財政的に非常に豊かな街だったようです。
最大で500軒の家が立ち並び、3000人以上の市民が暮らしていたとの見解もあります。
しかし伝承によると、その豊かさゆえに人々は高慢で軽薄になり、罪深い生活を送るようになったという。
次第に街は、不信心者や酔っ払い、強欲や富を誇示する人々で溢れ返るようになりました。
そして伝承は、その結果としてラングホルトに起こった悲劇をこう伝えています。
ある年のクリスマス間近の冬の日、若い酔っ払いの一団が地元の宿屋に泊まっていた神父に詰め寄り、「ブタに最後の晩餐を与えるよう」強要した。
人々の退廃に絶望した神父は教会に行き、祈りを捧げ、神に街の若者たちを罰するようお願いし、翌日にラングホルトを去った。
その直後、ラングホルトを地上から消し去る大嵐が襲来し、一夜にして街を海の底に沈めた。
記録によると、これが起こったのが1362年1月15日または16日のことで、水没により数千人が命を落としたといいます。
この物語は600年以上にわたり人々の間で語り継がれ、今日では、海底に沈んだとされる有名な古代都市にちなんで「北海のアトランティス(Atlantis of the North Sea)」と呼ばれるようになりました。
しかし、当のアトランティスが架空の存在と見られるのに対し、ラングホルトについてはその実在を暗示する遺物が過去にいくつも見つかっているのです。
例えば、ラングホルトが位置した場所のすぐ近くに浮かぶ小さな島「スートファール島(Südfall)」の干潟では、ラングホルトと同時代の陶器や金属製の装飾品、武器などが回収されています。
そこで研究チームは今年5月に、ラングホルトが実在したことを明らかにすべく、スートファール島の干潟で考古学調査を敢行しました。