現代より過去のほうが「いい時代」に感じてしまう心理
なぜ人々は道徳的荒廃を信じてしまうのか?

多くの人々が道徳的荒廃という錯覚を起こすメカニズムについて、研究者たちは人間心理に潜む、2つの効果が原因だと述べています。
1つ目は人類が築く情報ネットワークは「道徳的にスゴイ」というニュースよりも「道徳的に許せない」ニュースのほうを好んで伝達する性質がある点です。
古代の人づての伝達も現代のニュースやSNSでも、道徳的に優れた行いよりも、道徳的にも法的にも許されない出来事のほうが圧倒的にシェアされる数は多くなっています。
この「偏った情報暴露」により、人々は日に日に道徳が失われていると感じるようになるのです。
2つ目は「過去を美化するフィルター」の存在です。
私たちの多くは、過去に嬉しい経験だけでなく嫌な経験もしています。
しかしこれまでの研究により、嬉しい経験は強固に記憶される一方で、嫌な経験は比較的緩く記憶され、忘れたり改変されやすくなっていることが判明しました。
もちろん忘れられない嫌な経験があるのも事実です。
しかしさまざまな人々のデータを総合すると、人間の脳は嫌な経験より嬉しい経験を優先して記憶しているのです。
(※嬉しい経験はポジティブな記憶、嫌な経験はネガティブな記憶とも言い換えられます。ここには自分自身が成功・失敗したといった個人的記憶だけでなく、景気がよかった、連続殺人事件があった、など社会全般の記憶も含まれます。)
その結果、人間の脳では過去に遡れば遡るほど嬉しい経験の比率が増える「過去を美化するフィルター」が出現します。
一方、直近の世界は嬉しい経験と嫌な経験の両方がそのままの比率で記憶されており、過去よりも良くない状況だと判断されることになります。
研究者たちは、この2つが組み合わさった結果「道徳が日に日に荒廃していく」という錯覚が起こる、と述べています。
現時点で流れてくる情報が道徳的に許せないものに偏っており、なおかつ脳に過去を美化するフィルターが存在するなら、過去のほうが道徳的に優れていたと思ってしまうのも仕方がないでしょう。
ですが研究者たちは最も重要な点は別にあると述べています。
道徳的荒廃から利益を得る者たちが存在する

道徳的荒廃を錯覚する心理は、いわば人間の脳の弱点です。
実際、2015年に米国で行われた調査では、参加者全体の75%が「道徳的荒廃を防ぐことが国家の最優先事項である」と答えています。
そのため、この「道徳的荒廃の錯覚」は権力を握ろうとする独裁者や政治家、信者を増やしたいだけの宗教家に利用される傾向があります。
扇動が巧みなヒットラーも道徳的荒廃の利用価値に着目し、自らを道徳的荒廃から救う唯一の存在だと喧伝しました。
同様の手法は現在でもつかわれており「国の立て直し」「積弊の清算」「再び偉大な国を目指す」「退廃的政治の大掃除」といった言葉で、政策の魅力を伝えようとする例が見受けられます。
(※「積弊」は長い間に積もり重なった害悪を意味する言葉)
道徳的荒廃は誰もが感じる錯覚なのに加えて、現状の不安が大きいほど過去が美化され現在の「荒廃」が目につくようになるため、権力を奪いたい人間にとって非常に魅力的な概念になります。
もし今後「道徳的荒廃」やそれに類する言葉を叫んでいるひとを見かけたら、彼らの言葉をより注意して聞くべきでしょう。
じゃあ不満を感じない社会がいい社会かって言うと…っていうのはSFの世界の話になっちゃいますね。
何についてのじゃあなのか
こういうのを見ても教育レベルが下がっているのが分かるよな。昔は良かった笑
追加して言えるのは、情報の蓄積の仕方でしょう。大人になるにつれて知らなかった世界に触れることが多くなり、若い頃に知らなかったいやな現実を知ることが多くなります。その記憶の増大過程が「昔はよかった」と感じさせるのではないでしょうか。
道徳的荒廃が錯覚だというのはまあわかりましたが、自然環境の荒廃は明らかに進んでいますね。世も末です。
ネトウヨ界隈で似たような単語やスローガンをよく見るな
そういえばどっかの大統領も似たこと叫んでたなあ
>>「国の立て直し」「積弊の清算」「再び偉大な国を目指す」「退廃的政治の大掃除」
昭和のひどい時代を思い起こすと、今の時代は本当にいい時代だと思いますけどね。昭和の頃は学校でも職場でもまさに理不尽しかない状況でしたよ。
ほんとそう!昭和を美化している連中は自らのバイアスを知らな過ぎる
いやいや、昔はヤバかったよ。忘れ物したら往復ビンタ。鼓膜破れる生徒はよくいたなぁ。昭和の北海道の校舎は冬になると氷点下で廊下は凍るのだが、宿題が間に合わくて廊下にコートなしで正座2時間。合格点の60点に不足した点数分竹刀で臀部や背中を叩く。等々、今だったら教師クビどころか逮捕レベルの暴力が毎日毎日朝から晩まで教師によって平然と行われてた。あの頃の教師は今考えても恨みと軽蔑の対象でしかない。
今はその反動からか生徒に気を遣いすぎかもしれないが『人権』という概念が教育の場に存在するだけ全然マシ。
大分前にもこんなネット記事あったね これと似た発想が世紀末 しかし今世紀末じゃないのに世紀末な世の中になっているのはなぜなんだろ?
2023年の記事をしれっと再掲とは世も末じゃな
正直、道徳の荒廃は実際にあると思う。それは産業革命以前のものだ。農耕開始以降、社会は混乱期と安定期を交互に繰り返してきた。定期的な小氷期が農耕社会の秩序の混乱をもたらすからだ。人々に道徳を実行する余裕があるときは常に世の中が豊かな時だ。五世紀や十四世紀、十七世紀には寒冷化が進行し、とんでもない虐殺、戦争、治安悪化が発生することも多々あった。一方産業革命以後は寒冷期がはっきりと現れてはおらず、地球温暖化のプラスの側面かもしれない。現在は案外、ファクトフルネス的思考で行けると思う。