6世紀に遡る「ネス湖の怪物」の歴史的記録
ネス湖は、スコットランドのグレートグレン断層沿いに位置する十和田湖より少し小さな淡水湖です。
ネス湖付近の怪物に関する最初の報告は、6 世紀(565年)に書かれたアドムナンの『聖コルンバの生涯』に記載されています。
アドムナンによると、アイルランドの修道士聖コルンバが仲間たちとともにピクト人の地に滞在していたとき、水獣に襲われて死んだ男の埋葬に立ち会いました。
その後、コルンバたちも水獣に襲われそうになりましたが、コルンバの言葉により水獣は立ち去り、コルンバの部下とピクト人はこれを奇跡として称えました。
これはネス湖自体ではなく近くのネス川を舞台にした物語ですが、ネッシーを信じる人達は、これが6世紀にはすでにネッシーが存在していた証拠だと主張しています。
ただ、水獣は中世の聖人伝説ではよく登場する存在のため、懐疑論者たちはそれが物語の面白さを増すための創作だと考えています。
また1871年にはひっくり返ったボートに似た物体が「うねって水をかき回している」様子を住民が目撃し、記録に残しています。
そして1930年代になると、ネス湖では巨大な首長竜のような怪物を目撃したという報告が次々と寄せられ、1934年にはあの有名なネッシーの写真(通称、外科医の写真)が撮影され、新聞に掲載されることになりました。
この写真は後に、撮影者本人がおもちゃのボートに恐竜の頭の模型を付けて撮影したフェイク画像だったことを告白していますが、近代のネッシーブームの火付け役となりました。
地元の人々にとっては観光客が増えるなど経済効果がうまれましたが、少なくない研究者たちの興味も引き、民俗学的な発見につながります。
民俗学の研究者が地元の歴史や口伝を調査したところ、ネス湖周辺では古くから水に潜む怪物についての民間伝承が語り継がれていたことが判明したからです。
一般に「水に怪物が潜む」という伝承は、子供たちが水場に近づくのを防ぐために大人たちの作り出した物語が起源だと考えられています。
ただネス湖ではその民間伝承が独り歩きし、中世では水獣やケルピー、近代ではネッシーとなって人々の耳に届いていたのです。
民間伝承が全国的に共有され、それが多くの目撃報告に繋がるという現象は日本の「河童」などにもみられる現象ですが、ネッシーの場合はメディアの急速な普及によって世界規模の話題になりました。
そのため20世紀後半になってもネッシーの探求熱は収まらず、潜水艇、ソナー調査、水中聴音器、水中写真撮影、水中ビデオ撮影などを使った体系的な捜索が行われるようになりました。
しかし残念なことに結果はイマイチであり、巨大な怪物「ネッシー」につながる証拠は得られませんでした。
ですがネッシーに対する興味は21世紀になっても続いており、2018年になるとネス湖の水に含まれる環境DNAの分析が行われました。