留学が盛んだった中世ヨーロッパ
中世ヨーロッパにおける大学の存在は、都市において経済効果があるだけでなく、所在都市の名声の向上にも寄与していました。
そのため教師の数が増えるにつれ、都市や国家は教師の支援を行うようになり、また大学自体にも特権を与え、大学は都市に固定されるようになったものの、一方で自治が尊重され続けました。
大学の特質は、自治権だけでなく、地域に限定されずあらゆる地域から学生を受け入れたことも含まれています。
中世の大学の定義には、特定の国・地域の学生だけでなく、あらゆる地域の学生を引きつけ、高等教育の場で神学・法学・医学など複数の学科が教えられたことが挙げられます。
これにより、特定の地域の学生のためだけに開かれている教育機関は「大学」とは呼ばれなかったのです。
また学位の概念も「教師ギルド」から生まれました。
学生が一定の学習・研究を経て「教師ギルド」に加入するためには、教える能力を証明する必要がありました。
このために試験が導入され、学生は試験に合格し「教授の免状」を取得することで、学位を得るようになったのです。
学位は元々教授職における資格でしたが、知識の証明としてそれ以外の人にも求められ、時間と科目、試験によって評価される研究のカリキュラムが定着し、今日に至っています。
こうした大学の成り立ちについて理解すると、現在の大学という組織が持つ独特の慣習なども違って見えてくるかもしれません。
「白い巨塔」のような作品では、教授をトップとした特殊な組織として大学病院が描かれていましたが、教育者であり研究者でありまた大学の権力者でもある教授や、大学内が特殊な権力争いの生まれる自治的な組織によって支配されているという点も、こうした歴史に目を向けるとそれほど不思議なことには思えないでしょう。