イギリスの工業化には隠された2段階目が存在した
新たな研究では、イギリスの工業化が一本道でないことも発見されました。
普通なら、産業革命の下地がクリアーされている状況で、蒸気機関のテクノロジーが解禁されれば、あとは産業化まっしぐらだと思えます。
確かに、後のイギリスの発展をみれば、全体としてはその通りと言えるでしょう。
しかし地域ごとにみると、労働者と農業従事者の人口割合の逆転が起きていたことがわかりました。
上の図は労働者人口の割合の変化を示したものとなり、イギリスの工業化の初期段階では、東部や南部で労働者が多くなっていたことがわかります。
しかし時代が進むにつれて、東部や南部では労働者割合が減少し、代わりに北部で増加していることがわかります。
ここでようやく登場するのが、蒸気機関です。
蒸気機関は1700年代初頭に初めて発明され、当時は大気圧機関と呼ばれており、鉱山の廃水ポンプなど限られた用途にのみ使われていました。
SFの一種であるスチームパンクの世界では、よく見かける建造物です。
その後、蒸気機関の進化は続き1769年にワットによる改良を経て、1780年代に実用化が進みました。
そうなると石炭の需要が増すため、最終的には石炭が豊富なイングランド北部で工場をもつことが有利になってきます。
そのため上の図でも時間が経過していくと、北部の労働者割合が急速に上昇していくことがわかります。
一方で先に工業化を成し遂げたはずの東部と南部では、労働者割合が減少し、農業従事者が増えると言う逆転現象が起こりました。
たとえば東部のノーフォークは1600年代では最も工業化が進んだ地域であり1700年には成人男性の63%が工場労働者として働いていました。
しかしそこが最盛期であり、1700年代が過ぎていくと労働者の割合は39%に減少し、一方で農業従事者は28%から51%に増加しました。
研究者たちはこの現象を「産業の空洞化」と呼んでいます。
また蒸気機関の発明により効率が上がると人手もあまりいらなくなり、産業時代の最盛期と考えられている機関を通じて、ほとんど労働者の割合は増えませんでした。
多くの人は「産業革命を迎えると国中が工場労働者だらけになる」というイメージを持ちますが、イギリスの産業革命によって実際に起きたのは、労働者割合の増加ではなく、仕事の性質と仕事の場所の変化だったのです。
またこの変化の影響が最も大きかった労働者は、女性と子供でした。
成人女性の労働参加率は1760年には60%~80%でしたが1851年には43%に低下しました。
この低下した女性の労働参加率が1760年代の水準に戻るのは1980年代になってからです。
一方で子供たちにとっての変化は好ましいものでした。
ブラッドフォードでは主に繊維工場などで膨大な数の13~14歳の女の子が働かせており、1851年の時点では11~12歳の女の子の40%が工場で働いていました。
しかし1911年になるとこの比率は10%まで低下し、義務教育制度がはじまりました。
研究者たちは今回の研究成果から「工業化の2つの段階の区別をするためにも教科書を書き直す必要がある」と述べています。