イギリスでは機械なしで工業化が進んでいた
産業革命のお膳立てはどのように進んでいたのか?
謎を解明するために研究者たちは3世紀にわたる1億6000万件以上の記録を収集。
そのなかには200万件を超える個人の遺言書など民間レベルの財産移転の情報も含まれていました。
すると驚くべき事実が判明します。
私たちの多くが抱く産業革命のイメージでは「まず労働集約(手工業)が盛んだった場所に機械が搬入されて近代的な工場ができ、労働者が集まってきて、逆に農村部の人口割合が減っていく」というものです。
しかしイギリスの人口動態を詳しく調べたところ、既に1600年代から男性労働者の割合が増加し始めており1600年から1700年にかけて50%も増加していたことが判明。
その総数は働く男性の半数弱(28%から42%)に達していました。
一方で1600年から1740年のわずか40年の間に、男性農業従事者の割合は3分の1以上(64%から42%)減少していました。
この数値は際立っており、1700年のフランスと比較しても、イギリスの労働者人口の割合は3倍になっています。
この結果は、イギリスでは機械がない時代でも、農業から工業への人口移転が急ピッチで進んで「機械のない工業化」が起きていたことを示しています。
たとえば南部のグロスターシャー州の場合、繊維・履物・金属の工業化が急拡大し、男性労働者の人口割合が1600年代の間に33%から44%へ増加したことがデータからわかります。
また北部のランカシャーでは繊維工業が盛んになり1660年から1750年にかけて男性労働者人口の割合が42%から61%へと増加しました。
繰り返しになりますが、これらの変化は全て蒸気機関が発明される前に起きていたことです。
「機械がたくさん詰まった工場ができて労働者が集まる」というイメージは、産業革命が起きた後の世界では正しいでしょう。
しかし実際には機械のあるなしにかかわらず、労働者割合の増加と農業者割合の現象が起きていたのです。
そして急速な工業化の進展は後に起こる蒸気機関の発明という「点火」を有効活用させる下準備となっていきます。
問題は、なぜイギリスだけでこのような急ピッチの工業化が達成できたかです。