イースター島で「人口崩壊」は起こったのか?
イースター島(現地名はラパ・ヌイ)は南米チリ沖の太平洋上に位置する火山島です。
南米大陸から約3700キロも離れている絶海の孤島となっていますが、歴史的には1200年頃にポリネシア人が入植したことで知られます。
彼らがイースター島で始めたこととして最も有名なのが、巨大な人面石像である「モアイ」の建造です。
おそらく、ほとんどの人はイースター島と聞けば、モアイ像が頭に思い浮かぶでしょう。
モアイは1体の大きさが約4〜5メートル、重さは約20トンに達します。大きいものだと高さ20メートル以上、重さ90トンに達するものも。
モアイは「島の守り神」や「祭祀目的」で建てられたと考えられており、これまでに1000体以上が確認されています。
しかしこれほど多くのモアイを作ったということは、それだけ大量に島の岩石を切り崩したということです。
そのためイースター島にはかつて1万人を超える人口があったが、支配者たちがモアイ製造合戦を繰り返したことで、島の環境を破壊し、文明の崩壊・人口の激減を起こしたとされています。
この仮説を最初に提唱したのは、ピューリッツァー賞受賞作家で『銃・病原菌・鉄』などの著作で有名なジャレド・ダイアモンド氏です。
同氏はこの仮説を著作『文明崩壊』の中で指摘しています。
彼はこれだけ多くのモアイ像を作り、定位置に運ぶには大量の人口が必要であり、かつてはその人数を支えるだけの食料生産も行われていたと考えました。
ところが過剰な環境破壊により人口崩壊を起こして、1722年ヨーロッパ人がイースター島へ到着する頃には数千人しか残っていなかったと推測したのです。
この説は他の多くの研究者の同意を得て、今日ではかなり有力な説となっています。
しかしコロンビア大学の新たな研究は、この物語をくつがえす結果を報告しました。