マイクロRNAは遺伝子活性度の制御を担う指揮者
生命において重要なのは、必要な時に必要なタンパク質を作ることと、その裏返しとして、必要でないときに無駄なタンパク質を作らないことだと言えます。
食べ物の消化が終わったのに、胃酸を作るタンパク質を活性化させたままでは、胃粘膜が傷つき胃もたれを起こしてしまいます。
ある意味では、この調節こそが生命現象そのものと言えるでしょう。
そのため前章では細胞を工場に見立てて、マイクロRNAを使った節約術を解説してきました。
しかしここでは少し視野を大きくとり、生命全体からみたマイクロRNAを考えてみたいと思います。
そこで具体例を工場からオーケストラに変更します。
オーケストラが美しい曲を奏でるには、必要な時に必要な楽器の音色が強く、または弱く演奏される必要があります。
ある時はバイオリンの音色、またある時はチェロの音色が強くなる必要があり、主旋律の役割を交代しながら全体の調和を達成します。
そういう意味では工場もオーケストラも似てはいます。
ですがオーケストラの演奏を聞いていてもわかるように、バイオリンやチェロの音色はスイッチのように瞬間的にオン・オフになるのではありません。
タンパク質需要も同じであり、これまで必要とされていたタンパク質の需要は瞬間的に停止するわけでもありませんし、新たに必要とされたタンパク質が最初から最大需要で求められるわけでもありません。
徐々に強く、徐々に弱く、スムーズな調節が必要となります。
このような調節は設計図の写しであるRNAの合成量を調節するだけでは達成できません。
オーケストラの指揮者がそうであるように、不要な部分を積極的に削りつつ、完全になくさないようにする微妙な調整が必要です。
生命体においてマイクロRNAは、この指揮者に相当する役割も果たしています。
実際、あるRNAに対しするマイクロRNAが生産されたとき、そのRNAの機能が100%阻害されること稀です。
また興味深い事実として、1種類のマイクロRNAが結合できるRNAが複数(100種類以上)存在することが知られています。
さらに特定のマイクロRNAが阻害する効果も、RNAごとに微妙に違うものになっています。
そのためあるマイクロRNAが製造されると、あるタンパク質製造速度が30%OFF、また別のタンパク質では50%OFFのように、1種類のマイクロRNAを作るだけで広範なタンパク質の製造量に影響を与えることができます。
オーケストラを例にとると、指揮者がある瞬間に出した指示がバイオリンの音量を30%落し、チェロの音量を50%落とすといった複合的な役割を果たす必要があります。
さらに1つの細胞内には複数種類のマイクロRNAが存在することで、あるマイクロRNAからは10%OFFまた別のマイクロRNAからは20%OFFの指令を受け取るなど、複雑な相互作用のネットワークを作ることが可能になります。
現実のオーケストラは指揮者は1人ですが、生命活動では複数のマイクロRNA群が協調して指揮を行っていると言えるでしょう。
そしてこの複雑なネットワークの存在が、神秘的な生命活動を可能にしているのです。
これまでの研究によって膨大な種類のマイクロRNAが多様な生命に存在することが知られており、生命活動におけるマイクロRNAの重要さが次々に明らかになっています。
他にも最新の研究では、マイクロRNAが細胞の外に放出され、他の細胞の活動を調節できることもわかってきました。
また生物によってはマイクロRNAは兵器としても使用されており、ある細菌が他の細菌の成長を邪魔するために特定のマイクロRNAを放出していることも報告されています。
さらに特定の樹木の根に生息する共生は、根に居続けるために「定住許可書」のような役割をするマイクロRNAを放出していることも発見されました。
このように地球上の生命はマイクロRNAをさまざまな用途のためにカスタマイズして使用しているのです。
そして人体においては、マイクロRNAは病気を防ぐためにも使われています。