繋がりのない体験

研究チームは、現代の人々が退屈を感じる3つ目のメカニズムとして、「断片的な情報や体験の増加」を挙げています。
デジタルメディアが増加するにつれて、消費が早くなり、人々は手早く刺激を得られるコンテンツを求めるようになりました。
その結果、コンテンツの作り手は、ショート動画などの「短く」「衝撃が大きい」コンテンツをこぞって生み出すようになりました。
しかし研究によると、人々は関連性のない「断片的な情報」を素早く消費した後、それらを無意味に感じ、虚無感を覚えることが多いようです。
そしてこの「虚無感」は、さらに別のコンテンツを消費するよう人々を駆り立てます。
では、たとえ「断片的な情報」でも、それらを大量に寄せ集めるなら、私たちは満足できるのでしょうか。
その答えは、ショート動画を1時間もしくは2時間見続けてしまった後の私たちがよく知っています。
その行為に何の意味も見いだせず、ただただ「時間を無駄にしてしまった」と後悔するだけです。
私たちが心から満足するためには、「意味の繋がり」が大切だと分かります。
1つの長編映画や小説、ゲームを最初から最後までじっくり楽しむことで、一貫性のある体験が得られ、そこに満足感が生まれるのです。
さらにそこから様々な考察を楽しむこともあるでしょう。
しかし、現代のデジタルメディアの傾向は、そのような一貫した体験を私たちから引き離しています。
タム氏らの今回の論文は、デジタルメディアが無限の刺激を私たちに提供する一方で、退屈感を強めている理由を説明しています。
ほんの十数年ほど前、私たちは今ほど毎日が退屈ではありませんでした。
1つのゲームを舐めるように楽しみ、クリア後も裏ボスを倒したり図鑑を埋めたりするのに必死でした。
1つの映画を見る間、1つの小説を読む間、私たちはその世界にどっぷりと浸かり、その世界の住人となっていました。見終わったあとも1週間くらい、ずっとその世界のことを考えて、その世界に浸っていられました。
けれど今、私たちはそれが出来ているでしょうか?
私たちはデジタルメディアが溢れる世の中で生活しているからこそ、片っ端からそれらを楽しまないと損してしまうという気持ちに囚われがちです。
しかし、本当に損しているのは、溢れるコンテンツを片っ端から楽しむことなのかもしれません。
何なのこの記事、機械翻訳バリバリの無能なライターが、じっくり考えもしないで適当にルーチン記事を時間に追われて処理しただけの内容。ライターさんアンタ自身が、溢れるコンテンツの中で日々に追われて、やっつけ仕事してないかな?そういうルーチンな社会で、退屈しきってんじゃないの?
最後の締めの文章何よコレ??!!
刺激に慣れきって、怒りが娯楽となった人の例がこちらです。
指摘マンさんの指摘が完全に的を射ておられて、スッキリしました。ありがとうございました。
なかなかに的を得てます。あとは解決案ですね!
充実感を感じられなくて、全てが無意味に見えることほど悲しいものはないと思う。物事は過去から現在、現在から未来へと全ては繋がっている。その感覚を忘れると孤独感に苛まれるし、そもそも人間は何をやっても満たされないように出来ているのに本当に可哀想。
納得してしまったんだが、この記事にキレてる指摘マンに具体的な反論はあるのかな?
退屈なんてしてない、刺激に慣れたりしてない、ショート見続けたりして虚無感にかられたりしない、みたいな。
いい記事だと思うけども
指摘マンはもう少し人生に余裕を持ったほうがいい
スマホ・ネットとの距離感を自分自身改めるべきだなあ。ただナゾロジーのような面白い記事・情報もネットにあるわけで、、、難しい。
ネットもいいけど本も読もう!
特に電車やバスの中は落として踏まれた場合を想定して
それくらいじゃ壊れない本がおススメ
スマホ踏まれて割れたら泣いちゃう
記事の内容じゃなくてライターさんのことばかり非難するのってどうなんですかね。
ほんとうにちゃんと読んだんですか?
この記事を読んていてなんだか悲しくなりました。
何も考えないで走っていると
最後には「この人生は何だったのだろう」と
虚しくなる結末が待っているのを想像してしまいました。
自分にとって何が大切なのか、
適切な範囲で取捨選択していかないといけないのかもですね。
ジト目お姉さん…来てねぇー。
お兄さんになってるぅぅぅ。
ねちっこく一つのコンテンツしゃぶる人が減ってるのは感じますね。
たくさんありますからねちっこくしゃぶらんでもいいとは思いますけどね。
でも逆に言うならねちっこくしゃぶるターゲットも昔よりはるかに多いわけでして、退屈してるならすでに体験したコンテンツをしゃぶればいいと思うのですよ。
なのでどうしてもやらない理由を探しているようにしか聞こえないのですよね。
暇なのでしょう?退屈なのでしょう?ならしゃぶらないと。
そりゃ退屈するでしょ、生活に手応えがないんだから
例えば「狩りをするゲーム」と「狩り」を比べると分かりやすい
ゲームでは視聴覚しか刺激されない
けれど実際の狩りでは足跡を探し、耳を澄ませ、気付かれないよう身をひそめ、時に走り…と全身をフルに使う
本来、全体的だった刺激が部分的になっているわけ
これを栄養に例えれば、物凄く偏った摂取の仕方をしてるわけで、何らかの欠乏症になるのは当然なんだ
おまけに実際の狩りと違って、そこに切実さもない
今さら先祖返りもできないけれど、あるていど全身を働かせて生活していないとおかしくもなるよ
これがもう一つの現象、「機能的非識字」というやつです。どうです、かわいそうでしょう。
こういう人は桃太郎を読んでも仮面ライダーの話をしたりするんです。だから暖かく見守ってあげましょう。
ショート動画ばっかり見てても意味ねぇぞって改めてわかっただけでもいい記事やろ
マルチタスクという病気に感染し一つのことに集中できない、本当にやりたいことを見つけられない、タスクからタスクへと忙しく飛び回り結局何もできていない。そんな現代病の紹介記事でしょうね
デジタルメディアの普及により暇つぶしの概念が変化したのでしょうね
本来であれば空いてる隙間時間に行う暇つぶしが
時間をつぶすための暇つぶしに変わってること自体、目的が全く違うので
達成感もあるわけないし、本当に自分がやりたいことでもない
自分が好きだと思ってみている動画すらもビックデータによる分析で好きそうな動画として
見せられている可能性もある、なんて不便な世の中なんでしょう
コンテンツが大量になった分、人気も分散して消費も一瞬になってどうせすぐ終わるからとまた集中して楽しめなくなった
年を重ねると自分がすぐ飽きるのもやる前から予知できるんだよな