賛否の分かれている禁酒法
このように鳴り物入りで施行された禁酒法ですが、1933年には再び憲法改定により、アメリカ全土での禁酒法は廃止されました。
なお憲法には「州にアルコールの輸送を制限するか禁止する権利を委ねる」と書かれていることもあり、その後も一部の州では禁酒法が継続され、現在でも一部の自治体では酒の販売や提供が禁止されています。
禁酒法が廃止された理由としてはこれまで大きな収入を占めていた酒税が無くなったことにより政府の財源に悪影響を及ぼしたことや、酒の密売によってマフィアが力をつけ治安が大いに悪化したことなどが理由として挙げられています。
では元々の目的であった、飲酒による社会の退廃は禁酒法によって改善することができたのでしょうか。
実際に禁酒法の時代、ビールの消費量は明らかに減少していました。
ただし、この事実を以て成功とするには早計です。
ビールの消費量が激減する一方で、スピリッツ――つまり蒸留酒の需要が高まり、家庭の片隅や秘密の工場で密造される始末です。
飲む量こそ減ったが、飲む酒が変わっただけとも言えます。
また禁酒法は「反抗の飲酒」も引き起こしました。
現在でも社会への反抗の一種として酒を飲んでいる未成年者がいるように、この当時でも一部の若者や女性たちが、この法律に抗うように積極的に飲酒に走りました。
一方、エリート層や富裕層の飲酒は、あたかも「見せびらかし消費」のように報道され、禁酒法の失敗を示す証左とされたのです。
結局、禁酒法はその成功も失敗も、それをどう見るかによって大きく姿を変える怪物でした。
それは経済的に困窮した時代のスケープゴートとなり、メディアや政治の操作を受けて、その評価が左右される存在だったのです。
その余韻は、今なおビールジョッキの泡とともに、歴史の片隅で語り継がれています。