薩摩藩では武士が普通に豚肉を食べていた
鹿児島は豚肉が郷土料理にも使われています。豚肉はタンパク質やビタミンB群などの栄養価が高い食材で、疲労回復や健康維持に欠かせません。特に、ビタミンB1は糖質の代謝を助けるため、疲労回復にも効果的です。
また、ビタミンB12は睡眠のリズムを整える効果があるとされています。(日本大学生物資源科学部 食品加工実習所「豚肉の栄養と摂取量」より)
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糖質は主食になる米や麦、芋類に多く含まれる、エネルギーに変わる栄養素です。豚肉に多く含まれるビタミンB1が糖質の代謝を助けるということは、食べた主食を効率よくエネルギーに変えてくれるということですね。そして疲労回復にも役立つということなので、豚肉は優れたスタミナ源ということができるでしょう。
鹿児島では明治以前から青少年の修練場での行事などで「豚骨(とんこつ)」と呼ばれる郷土料理を男性が作ってきました。「豚骨」はぶつ切りにしたスペアリブを焼き、芋焼酎で炒りつけてから大根やコンニャクなどと一緒に柔らかく煮込み、味噌や砂糖で味付けした料理です。

豚骨は薩摩藩士が狩場や戦場などで作った野外料理がはじまりです。なるほど、男手で作られる理由も納得です。豚骨は西郷隆盛も好物だったと言われています。
好物ということは、比較的よく食べていたということではないでしょうか。
豚肉に多く含まれるビタミンB1は水溶性なので、煮込んだ汁にもビタミンB1がたっぷり溶け込んでいたことでしょう。戦闘中のスタミナ食としてはぴったりですね。
戦場でも豚肉の料理を食べていた薩摩藩士。干し飯や味噌などが携行食だった藩もあったでしょう。そこにスタミナ食の豚肉を煮込んだ豚骨などを食べていた薩摩藩士が立ちはだかったら……。
想像したくないですね。勝てる気がしません。薩摩藩士には目の前に立ちはだかられたくないと思います。
ところで、江戸時代には参勤交代があり、藩ごとに江戸に藩邸というお屋敷を構えていました。力も信用もある藩は江戸城に近く良い位置に広い藩邸がありました。
1995~ 1997年、東京都港区にあった江戸時代の薩摩藩、島津家の芝上屋敷の発掘調査が行われた際に面白い結果が出ました。
ちなみにこのお屋敷跡は、都営地下鉄三田駅付近から日本電気本社ビル、ホテル ザ セレスティン東京芝、戸坂女子短期大学などを網羅する大変広いものでした。13代将軍徳川家定に輿入れするため江戸に入った天障院篤姫が江戸での暮らしを始めた場所でもあります。
これだけ広いと江戸にいながらにして薩摩だったのではないでしょうか。篤姫様は、江戸に来た実感はあまり湧かなかったかもしれませんね。
発掘調査では17世紀前期から19世紀に至るまでの遺構が400以上確認されました。この時、陶磁器を中心とした膨大な量の遺物が出土しています。
食材となったであろう生物は貝類、甲殻類、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類が確認されていて、中でも哺乳類の出土が目立ちます。
哺乳類の中で一番多いのがイノシシ・ブタだったのです。これは出土した哺乳類の58%という数字でした。これは10%だったイヌをはるかに上回っていて、主要な哺乳類だったことが伺えます。
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鹿児島では仏教的な理由と労役に使っていたため牛や馬は食べない習慣がありました。これは日本どこでも同じだったと思います。
反面、豚と鶏は昔から「歩く野菜」といわれていました。

歩く野菜……。
シカ肉を「紅葉」、イノシシ肉を「牡丹」などと隠語で呼んでいた都市部に比べると「歩く野菜」は少々乱暴ですが、それだけ日常的な食材だったと言えます。
薩摩藩士は自宅でブタを飼育し、祝い事や行事の際に屠畜して食用にしたのは、鶏肉と変わらない感覚だったようで、これには豚肉を食べる風習を持った琉球との関係や、薩摩藩が狩猟を奨励したことが挙げられます。
さらに京都や江戸から遠かったことが、他地域に比べて獣肉食へのタブー観念が薄かった大きな理由ではないかと考えられています
ちなみに、同様に発掘された仙台藩の上屋敷跡から出たイノシシ・ブタはわずか2%でした。逆にイヌは35%。イヌやネコはペットだったと考えられており、イノシシ・ブタはその餌だったのかもしれません。
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,日本SPF豚研究会53号(2018)/ナゾロジー編
ブタはイノシシを家畜化したもののため、出土した骨はブタとイノシシの区別は難しいと言われています。しかし、薩摩藩邸から出土した骨は1~ 2歳のものが多いことから、飼育されていた可能性が高いと判断されました。
つまりブタだった、と。
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また、骨には解体した跡が残っていたことから、屋敷の敷地内で解体し、調理が行われていたと考えられています。
鹿児島市尚古集成館蔵に収蔵されている「御献立留」には、薩摩藩の行事や接待の際の献立が記されています。「猪」、「鹿」や「にく」といった獣肉名が見られるのですが、「にく」はブタ、もしくはカモシカを指すものとみられています。
「にく」としたのは薩摩藩以外の人へのそれなりの配慮なのか、それとも、それだけ日常的なものだったからなのでしょうか。いずれにしても、「歩く野菜」とされていなかったのは幸いでしたね。
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薩摩藩では江戸藩邸で骨が出土したことから、地元薩摩と同様の獣肉が食べられていたとみられています。
江戸薩摩藩邸のブタは美味しかったらしく、江戸時代の思想家で経済学者でもあった佐藤信淵(さとう のぶひろ)の『経済要録』には「薩州侯ノ邸中二養フソノ白毛琢ハ殊二上品ナリ」と書かれています。
現在、鹿児島といえば黒豚のイメージですが、当時、白い毛の豚肉が上品な味だったという記録です。
徳川最後の将軍、15代徳川慶喜(一橋慶喜)はことのほか薩摩藩の豚肉が気に入ったようです。グルメ将軍と称され歴代将軍の中でも長生きだった徳川慶喜は、豚肉を届けてほしいという薩摩藩に宛てた書簡が残っているほど。
その豚肉への執着ぶりから、影で「豚一様」とあだ名されるほどだったといいます。
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