薩摩藩の豚は、いつどこから来たか
薩摩藩はいつから豚を飼育して食べるようになったのでしょうか。
これにはふたつの説があります。
ひとつは、1609年に薩摩藩が3000人の大軍で奄美・琉球に侵攻して大勝した際、「豚を持ち帰った」とされている説。これを契機に島津領では広く豚の飼育が広まったというものです。
もうひとつは、明から来たという説です。
1644年、明が滅びました。しかし滅ぶ前から明国内は政治的に混乱しており、政府高官を始め、医者、学者、技術者などの中に琉球や薩摩へ亡命する者が続出。
大陸との貿易で栄えた坊津町(ぼうのつちょう 現・南さつま市)などの港町を中心として、明から来た人が作った唐人町がありましたが、そうした唐人町での食生活から豚肉を食べる習慣が広まったのではないかという説です。
明人はブタの飼育も行っていたことでしょう。ブタを目にした薩摩藩士の中には、唐人町で食べてみた人もいたのではないでしょうか。そこから「おい、明国のブタは旨いぞ」ということになり、自分たちでも飼育して食べるようになったのでは、ということですね。
当時、明の豚は肉質が軟かくてジューシー、さらに肉の味が濃くて香りもよいなどの特徴がありました。後の時代にこのブタは英国産の小型のヨークシャー種育成に取り入れられました。これは17~18世紀に広東から導入された広東豚ではないかとみられています。
小型のヨークシャー種は現在でも優秀な品種として活躍している大きな白豚「大ヨークシャー種」の育成に大きく貢献しています。江戸時代に好評だった白い方の豚はこの広東豚ではなかったかと考えられます。
琉球から連れてきたブタを食べなれていた薩摩藩士が、明のブタも美味しいことを知り、こちらも飼育するようになったのかもしれません。
話が少しそれますが、江戸時代に飼育していた黒い豚は琉球からもたらされたものでしたが、現在、鹿児島で有名な黒豚は、英国が作出した純粋なバークシャー種です。黒い毛に白い部分が六ケ所あるブタです。このバークシャー種は広東の白黒まだらのブタとタイのブタを使って作出されました。中国産のブタ、恐るべし。

話を薩摩に戻します。薩摩藩邸の発掘調査では2種類の豚が見つかっています。小型のブタと、それよりも大型のブタです。
小型のブタは成獣でも100kg以下で、これは琉球からもたらされた「黒いブタ」の可能性が高いとされていますが、そうすると、成獣で100kgを超える黒より大きい方は、明からもたらされた「白いブタ」ということになります。
明の時代、広東のブタは軟らかく味が濃くてジューシーなため外国でも新品種の育成に貢献したことから、佐藤信淵が美味しいと書いていたのは黒より大きい「白いブタ」の方だったのでしょう。
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どちらか片方に決めず、黒も白も両方飼育していた薩摩藩は、それぞれのブタ肉の違いを味わい分けていたのでしょうか。それとも、日常用とハレの日用だったのでしょうか。そのあたりはよくわかっていません。
明治維新といえば切っても切れない薩摩藩。薩摩藩と徳川家は篤姫様だけのつながりではなく、最後の将軍、15代徳川慶喜とは何と豚肉でもつながっていました。
薩摩示現流で恐れられ、軍事システムでも幕末最強という評判だった薩摩藩は江戸時代からブタを江戸の藩邸でも飼育し、普通に豚肉を食べていたのです。
ビタミンB1を多く含み、糖質の代謝や疲労回復に役立つ豚肉。日本に新しい時代をもたらすことに貢献した薩摩藩のパワーは、もしかしたら豚肉からきたのかもしれませんね。
皆さんも、「何だか最近パワー不足かも」と思ったら、食事に豚肉を取り入れてみてはいかがでしょうか。
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