聴覚でも起こる「時間の錯覚」
さらに、クロノスタシスは聴覚でも同様の時間延長が起こりうることが示唆されています。
「電話の呼び出し音を待つとき、次の音がなかなか鳴らないように感じる」という体験を実験で再現し、その錯覚を聴覚クロノスタシスと呼びました。
研究では、被験者にヘッドフォンを装着させ、まず片耳からの音の高さ(ピッチ)を判別する課題に集中させます。
そして課題終了後にもう片耳へ注意を移し、無音区間の長さを評価してもらいました。
すると、注意を移した直後に聞こえる最初の無音区間が、客観的な長さよりも長く感じられる傾向が明らかになったのです。
これは、視覚クロノスタシスと同様に「脳が新たな入力チャンネルに注意を向ける瞬間に時間が引き延ばされる」というメカニズムを示唆するものです。
視覚的なクロノスタシスでは、視線を急速に動かすサッカードが時間知覚を歪ませる要因とされています。
しかし聴覚の場合は、必ずしも耳や頭を動かさなくても、「どの方向から来る音に注意を向けるか」を切り替えるだけで、時間の錯覚が起こりうる点が特徴的です。
つまり、クロノスタシスの本質は単なる「身体の移動」ではなく、「脳が新しい情報源に対応しようとする際に生じる認知的な切り替え」にあるのかもしれません。
視覚だけではなく、聴覚でも同様のメカニズムが働くという点は、脳の情報処理が連続性や安定性を優先していることを示していると言えるでしょう。

視覚的、聴覚的な錯覚として注目されているクロノスタシス。
その背後にあるのは、視線移動や注意の切り替え時に脳が行う情報の補完・再構築過程で、一部の知覚を本来の時系列以上に延ばして認識してしまうという仕組みです。
私たちが何気なく体験している流れる時間は、実は脳の高度な編集作業によって生み出されている側面を持っています。
クロノスタシスは、その編集の瞬間を体感できる一例にすぎません。
こうした錯覚を知ることで、私たちの当たり前の時間知覚がいかに柔軟なものであり、どれほど主観的であるのかを改めて考えるきっかけとなるのではないでしょうか。