証拠なき政治の代償――合意形成と社会格差への影響

エビデンス重視の言葉づかいが長期的に衰退してきたという事実は、一見「議会が単に昔と比べて変わった」という話にとどまりません。
合意形成が難しいほどに党派間の対立が深まり、立法の生産性が低下する可能性があるからです。
実際に、今回の研究ではエビデンス中心の議論が減少している時期ほど重要法案の成立数が伸び悩み、さらに社会全体の格差が広がりやすいことが示唆されています。
なぜ証拠に基づく言語の衰退が政治や社会の停滞と結びつくのか。
背景には、エビデンスを共有する姿勢が薄れることで「客観的な材料」を頼りに妥協点を探る仕組みが弱まり、感情や価値観の衝突だけが先立ってしまう構図があると考えられます。
多くの複雑な課題――格差、環境、医療、教育――を解決するには、膨大なデータや専門家の知見を踏まえる必要がありますが、その手間をかけずに自陣の主張だけを強調すると、政策の落としどころを見いだせず対立が激化しやすくなるのです。
さらに、議会ルールの変遷や、党首やリーダー陣の発言権コントロール、メディア環境の変化なども、直感重視の言葉づかいを増幅させる要因として指摘されています。
テレビやSNSで拡散される映像や言葉が、“感情に訴える”メッセージほど短時間で注目を集めやすいという点は、多くの政治家にとって魅力的に映るかもしれません。
その一方で、緻密なデータ解析や根拠の丁寧な説明は、どうしても地味になりがちです。
こうした情報環境の変化が、エビデンスを重視した議論を後退させている可能性も否めません。
なによりエビデンスを無視した感情的な議論が行われると、問題の本質を見抜けなくなり、結果として適切な格差是正の手段が取れなくなる可能性があるのです。
ただし、エビデンスがすべてを解決するわけではないのも事実です。
政治的な討論の中には、国民の価値観や道徳観、歴史的な背景など、数字やデータだけでは測りきれない大切な要素が潜んでいます。
時には証拠よりも政治家の直感と信念に従って政策を行うことが、経済的成功をもたらす場合もあるでしょう。
問題は“直感”と“エビデンス”どちらか一方に偏りすぎることで、特に直感・感情だけに頼ると、対立する意見の妥協点を見つける共通の土台がなくなりかねません。
それでも、証拠に基づく議論が持つ“橋渡し”の機能が失われかけているという警鐘は、受け止める必要があるでしょう。
高度に専門化・複雑化した時代だからこそ、確かな情報や根拠を共有する仕組みは、議会内の合意形成や政策の質を左右する重要なカギとなりえます。
今後、議会演説の言葉づかいをさらに多面的に分析したり、各種政策の成果や住民の意識との関係を検証したりする研究が増えれば、エビデンス重視の文化が社会全体に及ぼす効果をより正確に見極められるはずです。
統計解析と政治学、社会学、メディア論などが連携することで、政治がいま抱える課題とその処方箋が、いっそう具体的に描かれることが期待されます。
証拠と直感の両輪をうまく使うバランスが、民主主義における合意形成の新たなヒントになるかもしれません。
証拠に価値を見出さない人にいくら証拠を提示しても意味はないので、
研究者も、いかにこの問題を証拠に基づかずに訴えるか研究したほうが良いと思う
> 具体的には、あらかじめ作成した二つの“辞書”――たとえば“fact”や“data”、“evidence”といったエビデンスを示す単語群と、“believe”や“guess”、“feeling”などの直感・感情を示す単語群――をもとに、演説の中の言葉づかいをスコア化しました。
これでは嘘をfactだと言い張った演説はエビデンス重視に分類されて、事実を「信じているbelieve」と言った場合は感情重視に分類されますよね?
昨今は事実をフェイクニュースだ! とか、代替真実だ! と断言したりするのが流行っていますがこの調査ではそれらを上手くスコア化出来ていない気がします