4:結び『ストーカー遺伝子』は存在するのか?

本記事で見てきたように、人の偏執的な攻撃性や執着心を左右するのは単一の「ストーカー遺伝子」ではなく、複数の遺伝要因の絡み合いです。
例えばオキシトシン受容体遺伝子は人の信頼傾向や共感能力と関連しています。
MAOA遺伝子の変異は衝動的な攻撃性と結びつく可能性が指摘されています。
これらの事例は、“犯罪遺伝子”なるものの存在を直接示すというより、遺伝子変異が人の反社会的傾向を高めうることを示唆しています。
言い換えれば、遺伝の影響は白黒のスイッチではなく、グラデーションとして私たちの性質に現れるのです。
しかも、こうした遺伝素因は一部の人だけのものではありません。
実際、高い攻撃性に関わるMAOA遺伝子の低活性型は欧米系白人男性の約34%に見られるとの報告もあります。
またオキシトシン受容体遺伝子の低性能タイプ(AA型)は欧州系成人では12%となっています。
(※ちなみに日本人男性の場合、戦士の遺伝子とされるMAOA遺伝子の低活性型の保持率はなんと55~65%とされ、これは世界的にもかなり高い数値です。また日本人のオキシトシン受容体遺伝子の低性能タイプ(AA型)の割合も38〜44 %とかなり高くなっています。)
つまり「ストーカー気質」の種は特別な突然変異ではなく、私たち誰もの中に潜み得るのです。
遺伝要因の支配力を如実に示すのが、一卵性双生児の研究です。
遺伝情報が完全に同一の双子では、一方が凶悪な犯罪行動に及んだ場合、他方も同様の行動を取る確率が約50%(40〜55 %の範囲)に達します。
一方で、遺伝子の半分しか共通しない二卵性双生児では一致率は約20%に留まります。
さらに、人間の「共感力」ですら遺伝に左右されます。
ある分析によれば、他者の痛みに共感して感じる情動的共感性は約半分が遺伝要因で説明できるそうです。
生まれ持った設計図が、私たちの気質から行動まで大きく方向付けていることは否定できません。
しかし、たとえ“危険な”遺伝子を持っていても、人が必ず犯罪者になるわけではありません。
環境要因との相互作用も無視できません。
例えば、前出のMAOA変異でも、幼少期に虐待を受けた人のみ暴力的傾向が顕著に現れ、同じ変異を持っていても虐待を受けなければ問題行動は増えなかったという報告があります。
このように、遺伝子はあくまで“傾向を高める”要因であって決定因ではないのです。
したがって、遺伝子スクリーニングで将来の犯罪者候補を特定しようとする発想には危険が伴います。
ある遺伝型を持つ人を「将来の犯罪者」と烙印すれば、社会的な偏見を生みかねません。
それでもなお、最もゾッとする現実が残ります。
人間は自分の意思で行動を選んでいるつもりでも、その深層では遺伝子が静かに糸を引いているかもしれません。
「ストーカー遺伝子」は確かに存在するのかもしれません。
ただし、それは特殊なDNAではなく、誰もの中に内在する無数の資質の一部です。
自分の中にその暗い芽が潜んでいると想像するだけで、自身の内面が少し怖く感じるのではないでしょうか。
※参考文献
Reward, Addiction, and Emotion Regulation Systems Associated with Rejection in Love
Monoamine oxidase A gene (MAOA) predicts behavioral aggression following provocation
Abnormal behavior associated with a point mutation in the structural gene for monoamine oxidase A
Monoamine oxidase A gene polymorphisms and personality traits in the Japanese population
Genetic polymorphism of monoamine oxidase A gene and spontaneous aggression in healthy Chinese males
Cultural variation of oxytocin pathway genes in modern humans
Problematic social network site use and adult attachment: A systematic review