なぜ睡眠不足後は「寝だめ」をするのか?脳内にあった驚きの仕組み

果たして彼らは、脳の中に隠された「睡眠の借金帳簿」を見つけることができたのでしょうか?
この謎を解明するために研究者たちはまず、マウスを使って脳の中をくまなく調べ始めました。
具体的には、睡眠に関係するさまざまな脳の領域を細かく調査し、どの場所が睡眠のスイッチを入れたり切ったりするのかを探ったのです。
その結果、視床という脳の中央部にある「リユニエンス核(nucleus reuniens)」という小さな神経細胞の集まりが、睡眠のコントロールに深く関わっている可能性が浮かび上がりました。
このリユニエンス核が実際に睡眠に影響を与えるかどうか調べるため、研究者たちは特別な薬を使ってそこの神経細胞をマウスの脳内で活発に動かしました。
すると、すぐに眠り始めるのかと思いきや、意外なことにマウスは眠る前の「準備行動」を始めたのです。
毛づくろいをしたり、自分の巣を整えたりと、まるで人間が寝る前に歯を磨き枕や布団を整えるのとそっくりな行動でした。
その後ようやく眠りに入ったマウスは、いつもよりも長く深いノンレム睡眠をとりました。
つまり、このリユニエンス核はただスイッチを押すようにすぐ眠らせるのではなく、「そろそろ寝る時間だよ」という眠気を引き起こし、寝る準備を促してからしっかりと睡眠負債を返すような眠りを作り出したのでした。
次に研究者たちは、このリユニエンス核が睡眠不足そのものを本当に感じ取っているかを調べました。
マウスを最長12時間、軽い刺激を与えて起こし続けて睡眠不足の状態にし、その間リユニエンス核がどのように活動するかを精密に観察しました。
その結果、睡眠不足が続いている間、この核の神経細胞はどんどん活発になり、眠れない時間が長くなるほど活動がさらに高まっていったのです。
そしてマウスが睡眠に入り、睡眠負債を返済するような深い眠りを取ると、この神経細胞の活動は再び静かになりました。
では、この神経細胞が睡眠不足を感知できないように阻害したらどうなるでしょうか。
研究者たちは睡眠不足のマウスでリユニエンス核を薬で一時的に沈黙させてみました。
すると、本来は寝不足後にたくさん眠って睡眠負債を返すはずのマウスたちが、その後に取る睡眠の長さも深さも大きく減ってしまったのです。
つまり、リユニエンス核が働かないと脳は睡眠負債をうまく計算できず、十分に返済するための深い眠りを作り出せなくなることがわかりました。
さらに興味深いことに、このリユニエンス核の神経細胞は視床のすぐ下にある「ゾナ・インセルタ(zona incerta)」と呼ばれる睡眠促進に関係する別の脳領域に信号を送っていることも判明しました。
通常は二つの領域の結びつきは弱いのですが、睡眠不足になると結合が強くなることも発見されました。
言い換えると、睡眠不足が続くと脳はリユニエンス核とゾナ・インセルタの回路を強化し、「睡眠の借金帳簿」をはっきりと記録して睡眠負債を返済するための深い眠りを促す準備をするわけです。
実際、この回路の結合が強いほどマウスが後に取る「寝だめ」の時間も質も高くなっていました。
このことから研究チームは、この回路が睡眠負債の量を測る「脳内の物差し」の役割を果たしている可能性があると考えています。