【まとめ】色とDNAのズレが照らす保全と進化の視点

今回の研究は、日本の身近なカニであるサワガニの中に、多様で複雑な「遺伝的な世界」が秘められていることを初めて明らかにしました。
サワガニがこれほど明瞭に5つの異なる遺伝集団に分かれていることは、単に興味深いだけではありません。
日本列島という私たちが暮らす土地そのものが、サワガニたちの遺伝子にくっきりと痕跡を残しているという、驚くべき発見だったのです。
特に研究者たちを驚かせたのは、これら5つの遺伝集団の境界線が、火山活動や島の形成、過去の海水面の変動など、日本列島の複雑な地史とピタリと重なることでした。
いわばサワガニは、小さな体の中に日本の地理的な歴史を忠実に記録した「生きたタイムカプセル」と言えるのです。
また、研究ではサワガニの「青い体色」が少なくとも2度、遺伝的に異なる系統で独立に進化していたことが明らかになりました。
これは生物が似た環境に暮らすうちに、まったく別々のルートを辿りながら同じような特徴を獲得する「収斂進化」と呼ばれる興味深い現象です。
太平洋沿岸の温暖な地域で青い体色が進化した理由は、はっきりとはまだ分かっていませんが、研究者は気候や日差しの強さ、あるいは水質や捕食者からの防御といった環境への適応が関係している可能性を指摘しています。
一方で、この研究で明らかになった重要なポイントの一つに、「体色と遺伝子の関係は決して単純ではない」ということがあります。
実際に、全国どこでも見かける茶色型と、限られた地域でしか見かけない赤色型の間には、明確な遺伝的違いがありませんでした。
つまり同じ遺伝的な背景を持ちながらも、食べ物や環境の影響によって体色が変化してしまうということです。
これは、体色という一見分かりやすい特徴だけでサワガニを分類することの難しさを物語っています。
また、青色型についても、同じ色でありながら異なる遺伝的背景を持つことがあり、見た目だけでは系統を正しく分類することができないという興味深い結果となりました。
こうした結果は、科学的にも大変興味深いだけでなく、サワガニを保護する上でも重要な意味を持っています。
日本各地ではサワガニが絶滅危惧種に指定されている地域がありますが、その保護にあたっては単に「サワガニ」という一括りではなく、遺伝的な背景を考慮したより精密な保護対策が求められることになるでしょう。
例えば、HO集団は北海道から本州北部まで広い範囲に分布して遺伝的多様性も豊富ですが、一方のsKK集団は南九州と関東南部という飛び地的な分布をしており、その間の中部地方などには存在しないという特殊な状況にあります。
こうした各集団ごとの特徴を無視してしまうと、大切な遺伝資源や多様性を失ってしまう危険性があります。
今回の研究成果は、今後の日本の生物多様性の研究において非常に重要な基盤を提供します。
これまで曖昧だったサワガニの系統分類が明確になり、日本列島の地史との関連性も初めて科学的に裏付けられました。
とはいえ、この研究で新たに見つかった謎もあります。
研究チームは今後、それぞれの集団内でさらなる細かな遺伝的差異があるかどうか、あるいは特に謎めいた青色型の体色を決めている具体的な遺伝子の正体や環境要因との関係について、より深く調査していく予定です。
この研究を始めるきっかけは、研究を主導した國島大河氏が「場所によって体色がこんなに違うのはなぜだろう?という素朴な疑問から始まった」というシンプルな動機でした。
しかし実際に日本全国を巡ってサワガニを探すうちに、新たな謎が次々と生まれ、「サワガニを求めて東北から九州まで全国行脚していくうちに新たな謎も生まれ、困ったことに彼らはいまだに我々の頭を悩ませてくれています」と國島氏は振り返ります。
青いサワガニがなぜ独立して二度も誕生したのか、また、九州と関東という離れた地域で同じ遺伝的集団がなぜ見られるのか――その謎は、さらに深まったのです。
研究チームは「全ての謎が解ける日を夢見て、今後も生態や生理、分子などさまざまな視点から、身近な水生生物である『サワガニ』の魅力を深掘りしていきたい」と意欲を燃やしています。
遠くに移動しながら生息域を広げることに向いてない繁殖方法なのにどの種類も結構広いエリアに広がってることも驚きです。