密林からバルセロナへ
時は1966年10月1日、当時スペイン領であった赤道ギニアのンコという小さな村で、農民たちは作物を荒らすゴリラの群れに頭を悩ませていました。
ついに猟銃を手にした彼らが母ゴリラを撃ったとき、彼女の腕に抱かれていたのは、誰も見たことのない「真っ白な赤ん坊」でした。
その白いゴリラは、現地のファン語で「白いゴリラ」を意味する「ンフム・ングイ(Nfumu Ngui)」と名付けられ、村へ連れ帰られます。
この珍しい個体の存在を知ったのが、スペイン人の霊長類学者動物学者ジョルディ・サバテール・ピ氏でした。
当時、バルセロナ動物園の関連機関である「イクンデ動物適応実験センター」の所長を務めていた彼は、村人からその赤ん坊ゴリラを買い取り、研究と保護のためにスペインへ連れて帰ります。
こちらは実際の映像。
1966年11月、スペイン語で「小さな雪片」を意味する「コピート・デ・ニエベ(Copito de Nieve)」という愛称が与えられ、彼はバルセロナ動物園で新たな人生をスタートさせました。
その姿が公開されると、瞬く間に話題となり、翌1967年3月には『ナショナルジオグラフィック』誌の表紙を飾るなど、世界中の注目を集める存在となります。

コピートは先天的な色素欠乏症である「アルビノ」と診断され、体毛は真っ白、肌はピンク色、目は淡く、強い光を苦手とし、視力にも難がありました。
紫外線に極めて弱いという特徴も併せ持っています。
しかし、そんな彼の弱点がかえって神秘性を高め、世界中の人々の心をとらえ、アイドル的な人気を博していったのです。