標高4300mの岩壁に残された「不老長寿」探索の足跡
碑文が見つかったのは、黄河源流域で最大級の淡水湖であるザリン湖の北岸の岩壁です。
文字は右から左、上から下に並ぶ秦代に使われた小篆(しょうてん)で、読み下すと「皇帝は五大夫の臣・翳に命じ、方士を率いて車で昆仑へ赴き、薬(姚)を採らせた」といった内容になります。
ここでの「方士」は「錬金術師」のことを指し、「姚(よう)」は薬草や鉱物などの治療資源を指す語ですが、文脈上「不老不死の霊薬」を意味すると解釈できるといいます。
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碑文には、到着の月日と移動距離も記されており、発見地点から「前方百五十里」とあります。
秦代の一里は、現在の約416メートルに相当するため、およそ62キロ先が最終目的地だったと見積もられます。
ザリン湖から西へ進むと、泉が星のように散在することから名づけられた「星宿海(シンスーハイ)」と呼ばれる湿地・湖沼群が広がり、古来ここが黄河の源とされてきました。
古代の地理観で「河は昆仑(こんろん※)から出ず」と記された伝承と、今回の碑文の方角・距離感が符合する点は大きな手がかりです。
(※ 昆仑は、中国古代の伝説や地理書に登場する神話的な山の名前。実際には、中国西部からチベットにかけて広がる山系「崑崙山脈=こんろんさんみゃく」を指すと理解されることが多い)
年代の読み取りについては、碑文の干支と「廿六年(26年)」と読む解釈が提示されており、これを秦暦に当てはめると統一の年(紀元前221年)3月の到着と整合します。
一方で、報道の中には「三十七年(37年)」とする読みを紹介するものもあり、年次表記はなお検討が続いています。
いずれにしても、始皇帝の在位中に昆仑方面への「薬採り」遠征が行われたという核心部分は、刻文から明確に読み取れます。