碑文の真贋を判定
発見が公表されると、「高地で近年刻まれた偽作ではないか」「当時の技術でチベット高原まで行けたのか」といった疑義がネットや研究者から相次ぎました。
これに対し、中国の国家文物局は、考古学者・材料科学者・書道史研究者らによる学際チームを現地に派遣。
岩石の組成、刻線の断面、工具痕の形状、風化と二次鉱物の付着状況などを調べました。
その結果、碑文には、平刃のノミで彫ったとみられる特徴的な工具痕があり、秦代に知られる技術と一致すること、現代合金工具の痕跡は検出されないこと、刻み溝や表面に長期の風化で生じる二次鉱物が形成されていることが確認されたと報告されました。
基盤岩は耐摩耗性に富む石英砂岩で、周囲の山地と湖により比較的穏やかな微気候が保たれていた点も、碑文が長く残存し得た理由とされます。
これらの分析にもとづき、当局は「真正」と結論づけました。

一方で、一部の歴史学者は「検証報告書と関与した専門家名の全面公開が必要だ」と透明性の確保を強く求めています。
議論の焦点は、碑文そのものの年代・筆致・語法の整合性に加え、「昆仑」という呼称が具体的にどの山系を指すかという地理学的問題にも及びます。
始皇帝が不老不死を追い求め、各地に碑文を立てさせ、錬金術師に霊薬探索を命じたことは『史記』などでもよく知られています。
最終的に、彼自身は水銀を含む丹薬を長期に服用したことで毒性が蓄積し、命を縮めた可能性が高いと考えられています。
だからこそ、神話の舞台だった「昆仑」と、実際に一行が登りついた痕跡を結ぶ今回の発見は、伝説と現実がせめぎ合う中国古代史の核心に迫る資料といえるでしょう。