皮質をヒトに明け渡したマウスは、何になったのか

ここまで来ると、気になるのはマウスのほうです。
研究チームは、ふつうのマウス、無皮質マウス、ヒト組織を移植したマウスの3グループをY字型の迷路に放ちました。
マウスには、いま通ったばかりの通路とは別の通路を選びたがる習性があり、これは裏返せば、前の通路を覚えているからこその芸当です。
そこで研究者たちは3種類のマウスたちのY字迷路での挙動を観察しました。
すると、ふつうのマウスは偶然より良い成績を示しましたが、無皮質マウスは偶然と変わりませんでした。
そしてヒト組織を移植されたマウスも偶然より良い成績を示したのです。
この結果は、ヒトの脳組織が、マウスの行動を支える一員になったことを示すのでしょうか?
研究チームは、移植したヒト組織と、マウスに残された神経回路との相互作用が、こうした行動に関わっていると考えています。
ただし、ヒトの神経細胞そのものが、訪れた場所を覚える役割を本当に担ったかどうかまでは、今回の研究では確かめられていません。
次に研究者たちは、低酸素に対する抵抗力を調べるためマウスを酸素濃度5%の環境に5時間置きました。
直後のヒト組織には酸素不足に反応するタンパク質(HIF1α)が現れ、20日後には、傷ついた脳で増えるグリア細胞が密度を増していました。
そしてヒト脳オルガノイドを移植されたマウスたちは、この低酸素のために、歩行検査で足の運びと支えかたに乱れが出たことが示されました。
一方で、ふつうのマウスと無皮質マウスは、同じ低酸素にさらされても歩き方をほとんど変えませんでした。
ヒトの組織が傷ついたマウスだけが、歩き方を変えたのです。
研究者たちは、ヒトの脳細胞を備えたマウスを実験台にすることで、ヒトの神経が酸素不足に弱い理由を探す手掛かりになると述べています。
もっとも、これほどの規模でヒトの神経組織を動物に入れることは、答えの出しにくい問いを呼び込みます。
そのため研究チームは通常の動物実験の審査に加え、倫理学者や患者支援団体の代表、哲学者、法学者から意見を受けながら実験を進め、2025年11月にはこの種の移植をめぐる倫理を議論する会議も開きました。
確かに、動物の大脳皮質にあたる部分のほとんどをヒトの脳組織で埋めてしまうことや、マウスの頭の中でヒトの脳組織を育てること自体に、倫理的な負担を感じる人は少なくないでしょう。
しかし研究者たちは会議で最も強く出た意見は「今日は治せないけれども、このモデルを使えば明日には治療法が見つかるかもしれない神経疾患に、何億もの人が苦しんでいる。その状況で、この研究を行わないことの倫理こそが問われるのではないか」というものだったと述べています。


























