縛られていた可能性のある手首と馬の骨が語る、暮らしのそばの暴力
家の下で見つかったのは、子どもの骨だけではありません。
別の人物の骨では、右の下から2番目のろっ骨に、指先ほどの幅をあけて2つの切り込みが並んでいました。
剣や長い短剣、槍のような、細く長い刃の武器でつけられた傷とみられます。
以前の研究では、この傷が死因になった可能性が高いとされています。
この人の骨には生前のけがの跡もあり、けがを何度も繰り返していた様子がうかがえます。
遺体は浅い穴に、体を丸めた姿勢で埋められていました。
発掘した人々によると、両手首は交差した形でろっ骨の下にあり、縛られていた可能性があるといいます。
骨には風化や動物にかじられた跡があり、しばらく動物や人の手にさらされていたようです。
そして、その穴の上には家が建てられたのです。
デンマークのフュン島の集落では、16歳以上の男性の頭の骨の一部が、ひとつの穴から見つかりました。
その骨には、死の前後に受けた、命に関わりうる2つの打撃の跡がありました。

ひとつは右の側頭部の上あたりにある約1.5cmのへこみで、とがった重い物による傷と一致します。
もうひとつは額の真ん中、右目の上あたりにある、1cmに満たない丸いへこみでした。
骨の表面はひどく風化しており、長く野ざらしにされた後で、家々の西にある穴へ納められたとみられます。
同じ穴からは土器や動物の骨、そして大量の馬の骨も見つかっています。
これは、馬をいけにえにする儀式と関係している可能性があるとされます。
では、こうした暴力はどれほど身近だったのでしょうか。
けがの跡がある12人が見つかった遺跡の数は、集落に人骨を置いていた遺跡全体のおよそ23%にあたりました。

つまり、人骨を集落に置いていた共同体のほぼ4つに1つで、骨に跡が残るほどの暴力があったことになります。
しかも置かれていたのは体の選ばれた一部に限られることなどから、けがを負っていた人は実際にはもっと多かったと研究チームはみています。
骨折や歯の病気、体に長く負担がかかった跡が残る骨もありました。
研究チームは、こうした人々の一部が社会の弱い立場にあった可能性を指摘しています。
そして、生涯を通じて積み重なる「ゆっくりとした暴力」にさらされていたのかもしれないと論じています。
傷の理由としては、集落どうしの争い、集落の中のけんかや家庭内の暴力、いけにえのような儀式などが考えられています。
研究チームは一つに絞らず、いくつもの場合を検討しています。
研究者たちは「理由が何であれ、これらの遺体は死の中で、そして死後に、意図して処理され、変えられた」と述べています。
鉄器時代からバイキング時代の暴力の跡は、墓地だけでなく、住人が毎日踏みしめる床の下にも眠っていたのです。
次に床がギシッと鳴っても、きっと家が古いだけなので、床板をはがすのはやめておきましょう。いや、でも・・・
ここからは、バイキングをもっと知りたい人へ
バイキングとは、多くが村の農民として暮らした人々です

バイキングの多くは、6〜7軒の農場が集まる小さな村の農民で、町に住んだ人はごく一部でした。
その農場の中心は木で建てた母屋のロングハウスで、壁が弓なりに曲がっているため、上から見ると船のような形をしていました。
人々はこの家の真ん中にある細長い炉で食事を作り、壁ぞいに並ぶ板の寝台に座ったり寝たりしていました。
馬小屋などが無い農場では、家の片側を仕切って、家畜も同じ家の中で飼っていました。
家には煙突も窓も無く、炉の煙は屋根に開けた穴から逃がしていたため、中はとても煙たかったと考えられています。
木の家にとって湿気は大敵で、人々はいつも修理を重ね、柱の表面を焦がして木を守る工夫もしていました。
亡くなった人は、集落からふつう300〜600m離れた所に葬られ、墓地とのあいだを流れる川などは、北欧神話で生者と死者の国を分ける川ギョッルと結びつけて説明されることがあります。
一方で人々はもてなしを大切にしており、旅の見知らぬ人でも、近くの農場に立ち寄れば食事と寝る場所を頼むことができました。




