「意識はない、もしくは定義による」派
一方で研究者の中には「意思的な振る舞いを見せるからといって本当に自由意志を持っているとは言えない」と主張する向きもある。
確かに植物は自分が住む環境に適応し、何らかの異変には方法を変えて対処する。しかしこの動きは、あくまでも植物内で高度に設計された機械仕掛けのものであり、収集した環境情報をまとめる働きを意識ということはできないのだ。

それから「意識」というものをどう定義するかで見方は変わるという研究者もいる。
例えば、身の回りの環境を理解することと定義するなら、植物が意識を持つということは可能である。
反対に、意識を思考や直感、理性、記憶、感情、知識といったものの複雑な統合体と見るならば、植物が意識を持つとは言い難いだろう。
しかしフランスの哲学者アンリ・ベルクソンによると、生命あるものにはすべて意識があり、その複雑さや強度は「植物→動物→人間」という順に段階を追って増す。よって、意識が無いようにみえても、それはただ「弱い」だけなのだ。
植物は地面に固定され動きを制限されているが、動物や人間は道具を作ったり狩りをしたりと肉体的な複雑さを増すことで、自己意識のレベルも高まったというわけである。
ただしどの分野にしても、この論争に明確な結論を出すことは難しい。果たしてナゾロジー読者の皆さんはどのように考えているだろうか。
よければ本記事の「意識の定義」を参考にしつつ、ぜひ下部アンケートにお答えください。