免疫を持っていることが「社会的特権」に
しかし問題は、黄熱病の免疫を持っていることが社会的特権になったことでした。
特に移民たちは、職を手に入れるため、あえて黄熱ウイルスに身をさらしたのです。アイザック・H・チャールズという青年が残した手紙があります。
彼は、1847年、兄のディックとともにニューオーリンズに職を求めてやってきました。その際、いとこに向けた手紙の中で、「私とディックが幸いにもこの地に順応できたことをお伝えできるのは、非常に喜ばしいことです」とつづっています。
これは、当時の移民たちが黄熱ウイルスを受け入れて、免疫を獲得しなければならなかったことを示したものです。彼らは、感染者の半数以上が死亡していた危険なウイルスを受け入れることを厭いませんでした。
移民にとって、ウイルスを避けるという選択肢は初めからなかったのです。それは、ニューオーリンズ社会への「順化」であり、 「市民権の洗礼」でした。
免疫がなければ、新参者は住む場所や仕事、妻を見つけるのも無理です。これは地元の労働者にとっても同じことで、免疫獲得は、人種や階級と同じく、社会的地位を意味しました。
こうした傾向は、社会に蔓延する不平等を露呈させました。
移民や労働者が、いるだけで危険なニューオーリンズに残り、身を粉にして働いたのに対し、雇い主や富裕層は、黄熱病の流行するシーズンを避けて別の場所に避難していたのです。
それでいて、労働者たちの稼ぎは、安全な場所にいる雇い主たちの懐に入りました。労働者の中には、免疫を手に入れるため、黄熱病で死んだ人に抱きついたという話も残っています。
彼らは、免疫獲得には死ぬ価値があると考えていたのです。