ジャポニカ米は寒冷化に適応し広まっていった
アジアでの稲作の歴史は、最初の4000年間では中国だけに限定されており、そこではジャポニカ米が栽培されていました。
その後、今から4200年前に世界的な寒冷化が起こりました。
この寒冷化は「4.2kイベント」とも呼ばれており、この影響によってメソポタミアから中国までの文明が崩壊したと考えられています。
そして、この急激な気候変動によって、ジャポニカ米は適応を余儀なくされたのです。
グテイカー氏は、「研究によって、温暖な地域で生育する温帯植物の台頭と同時に寒冷化があったと判明した」と述べています。
加えて「この寒冷化は、稲作や農民の東南アジアへの移動にも繋がった可能性がある」とも指摘。
つまり、4.2kイベントの後、熱帯ジャポニカ米は南下していき、ある稲は温帯品種(現在の温帯ジャポニカ米)として適応し北緯に広がったのです。
日本には温帯ジャポニカ米が普及していることから、この北緯ルートで伝わってきたものと考えられます。
また、南下した熱帯ジャポニカ米は多様化し続け、約2500年前には東南アジアの島々に到達したようです。これは、広範な貿易ネットワークと人々の移動によるものでしょう。
ところで、同じアジアイネであるインディカ米に関しては、その普及はより最近でありもっと複雑だったと判明しています。
およそ4000年前にインドのガンジス川下流で発生しました。そして、その2000年後にインドから中国へと移動したようです。
このように、全ゲノム解析と歴史的データとの比較は稲作の拡散とそれに関連する環境への理解を与えるものとなりました。
この理解は、気候変動や干ばつなど将来の環境問題に対応した新品種の開発に役立つことでしょう。
研究の詳細は5月15日、「Nature Plants」に掲載されました。