皮膚は心理的にどこまで伸びるのか?
メタバース空間において、ユーザーは好みの姿のアバターを分身とし、より自由度の高い身体を操ることが期待されます。
それこそ、現実では叶わないトップアスリート並の運動能力や超人的な身体変形を体感できるかもしれません。
一方で、心理的なキャパシティを超えた無理のある変形(たとえば、バギーのように体をバラバラに分離するとか?)は、現実の身体との自己同一性を維持することが困難になります。
自己同一性が失くなれば、アバターを自分の身体のように感じることもできないでしょう。
そこで「私たちの身体各部が心理的にどの程度の変形(錯覚)に耐えられるのか」を明らかにすることが課題となっていました。
しかし、現在の錯覚研究のメインストリームは、手足・指・頭といった「⾻格としての⾝体」を心理的に改変しようとするものです(たとえば、手足や指そのものを伸ばす錯覚)。
残念ながら、皮膚にのみ焦点を当てた変形錯覚、すなわち「皮膚としての身体」を心理的に改変する研究は報告されていませんでした。
そこで研究チームは2021年に、皮膚感覚を心理的に改変できるかどうかを調べる実験を実施。
まず、被験者の手を鏡の裏に置いた状態で、実験者がその手の甲の皮膚部分を引っ張ります。
それと同じタイミングで、鏡の表に置いたスライムも引っ張り上げ、被験者がその鏡像を見ることで皮膚が伸びる感覚が生じるかどうかを実験しました。
その結果、被験者は自分の皮膚がスライムのように極端に引き伸ばされる感覚を得たのです。
また、2022年2月に東京で行った公開実験では、体験者の96%(95⼈中91⼈)が⽪膚の伸⻑感覚を強烈に感じるという結果が得られました。
研究チームは、この新たな心理作用を「スライムハンド錯覚」と名付けています。
さらに、その後の実験で、手の甲の側面部(小指側)にスライムハンド錯覚を行ったところ、被験者の86%が皮膚の強い身長感覚を抱いたと報告しました。
他方で、手そのものが移動した感覚は77%が否定しています。
加えて、身体各部の主観的な位置変化を計ってみたところ、40センチのスライムの伸長に対し、被験者は平均して約29センチの皮膚伸長を感じていました。
先行研究によると、手指そのものの心理的な変形量は平均5〜10センチであることから、皮膚はそれをはるかに凌駕する変形錯覚に耐えうると考えられます。
ちなみに対照実験として、スライムを引っ張らずにスライドさせるだけの条件では、皮膚の伸長感覚を覚えた被験者は27%に留まり、錯覚を起こすには「伸長」という同期運動が重要であることが示されました(下図)。
以上の結果は、「⽪膚としての⾝体」の錯覚が「⾻格としての⾝体」に比べ、より遠⽅まで伸び縮みできることを⽰唆するものです。
この知見は、メタバース空間において、ユーザーの分身であるアバターの身体を従来考えられていたよりも、さらに大胆に変形させられる可能性を示しています。
皮膚がよく伸びることはメタバースでどんな楽しみを私たちに与えてくれるでしょうか?
たとえば、指の間の皮膚を伸ばして水かきをつくり、魚と同じスピードで泳いでみたり、脇腹の皮膚を伸ばして、フクロモモンガのような飛行能力が得られたりするかもしれません。