名前も年齢も出自もまったく不明の「美しき遺体」
少女の遺体はセーヌ川から引き上げられた後、パリの霊安室に運ばれました。
16歳前後と推定され、遺体にケガや暴行の痕跡が一切なかったことから、自殺の線が高いと見られています。
少女は身元確認のため、他の無名の死者とともに一般公開されました。
この身元不明の遺体展示は当時のパリで人気のある見せ物だったようで、「パリでこれほど見物人を集めるショーはない」といった記録が残っています。
このときも大勢の見物人が来たそうですが、少女の家族や友人、知人は現れず、身元も分からずじまいでした。
しかし、穏やかな微笑をたたえた少女の美しい顔は、多くの人の心を強く揺り動かします。
霊安室の係員もその一人で、少女の美しさに魅せられた彼は石膏型の職人を呼び、デスマスクを取らせました。
こうして作られたのが、こちらのマスクです。
少女のデスマスクはたちまち大評判となり、パリはおろか、続く数年のうちにヨーロッパ中で複製が作られ、土産物屋などで売られるようになったのです。
特に1900年以降は芸術家の間で人気を博し、デスマスクを自宅の壁に飾ることが流行となりました。
また、少女のマスクをモデルにデッサンをしたり、彼女の謎めいた人生を小説のネタにすることも流行ったそうです。
フランスの小説家アルベール・カミュ(1913〜1960)は、少女の微笑を「溺死したモナリザ(drowned Mona Lisa)」と表現しています。
もちろん、夢中になったのは芸術家だけでなく、少女の魅惑的な微笑は文化的アイコンとして、ヨーロッパ中の居間に飾られることになりました。
批評家のアル・アルヴァレスは著書『The Savage God』(1971)の中で「ドイツでは、ある世代の女子の大半が少女の顔を見本とした」と書いています。
そして、少女の死から半世紀以上が経った頃、デスマスクはまったく新しい分野で命を吹き込まれることになるのです。