M93によって島の森林が息を吹き返す
M93がもたらしたもう一つの大きな遺産は、アイル・ロイヤルの森林生態系の回復でした。
島には在来のオオカミの他に、唯一の大型草食動物である「ヘラジカ」が住んでいました。
ヘラジカは体重が360〜500キロと巨体ですが、本来ならオオカミの主な獲物となります。
しかし壊滅寸前のオオカミでは太刀打ちできず、ヘラジカはどんどん数を増やしていったのです。
彼らは1日に最大13キロもの植物を大量に消費するため、数の増えすぎは森林に甚大なダメージを与えます。
案の定、ヘラジカが好き放題に植物を食べた結果、島の木々が激減して、生態系のバランスが崩れてしまったのです。
ところがM93が出現してからの10年間で、急速に回復したオオカミのコロニーが高い割合でヘラジカを捕食したことで、ヘラジカの個体数は着実に減少。
そのおかげで植物の過剰消費が防がれ、草木は順調に繁殖し、島の森林が再び息を吹き返しました。
たった1匹のオオカミの存在は、生態系の秩序を取り戻すまでに絶大なものだったのです。
英雄の喪失、ふたたび衰退へ…
しかし現実はときに非情なものです。
おとぎ話のように「いつまでも幸せに暮らしました」と簡単なハッピーエンドは許してくれません。
M93は2006年に亡くなり、彼が築いた全盛時代は10年ほどで終わりを迎えます。
2008年頃になると島オオカミたちは急速に勢力を失い始めました。
繁栄をもたらしたM93の遺伝子が一転して裏目に出始めたのです。
リーダーとして絶対の地位を築いたM93は島にいた大多数のメスと交配し、子供をなしていました。
しまいには血のつながった娘とも関係を持ち、その子供たちもコロニー内で繁殖を続けます。
次第に群れの多くがM93の遺伝子を色濃く受け継ぐようになりました。
2008年の調査では、コロニーの遺伝子プール(集団が持つ遺伝子の総体)の60%がM93由来のものと判明したのです。
そして再び近親交配が一般化すると、以前と同じように個体数が減少し始めます。
2015年までにはオスとメスの1頭ずつが生き残り、結局、彼らも繁殖には成功しませんでした。
ちなみにこの2頭は父と娘でありながら、異父兄妹でもあったそうです。
現在、アイル・ロイヤルはヘラジカの天下となっており、また森林生態系の秩序が崩れ始めているといいます。
以上がこの島で起きたオオカミの栄枯盛衰の顛末です。
しかし、この物語はたった1匹の存在がたとえ一時と言えど、壊滅的な状況を大きく変えうることを証明しています。
今後、アイル・ロイヤルに氷の橋が築かれたとき、新たな英雄が帰還して、島の生態系を救ってくれるかもしれません。