ヴァイキングの石碑に最も多く名前が刻まれていた
ルーン石碑とは、その名の通り、ルーン文字が刻まれた石碑であり、800年〜1050年のヴァイキング時代に最も多く作られました。
ヴァイキングの社会では、亡くなった重要人物の功績を称えたり追悼するためにルーン石碑を建てていたといいます。
研究チームは今回、デンマークに現存する4つの有名なヴァイキングのルーン石碑(製作年代は900〜970年頃)を新たに調査しました。
うち2つは「イェリング墳墓群」にあり、あとの2つはそこから南に離れた「ベッケ(Bække)」と「レーボルグ(Læborg)」にあります。
イェリング墳墓群にはルーン文字の刻まれた10世紀の石碑が2つあり、1つはデンマーク最初の王であるゴーム老王とテューラ王妃を、もう1つがハーラル1世”青歯王”を讃えた記念碑です。
しかし研究チームが新たに2つの石碑を分析したところ、両方の石碑に「テューラ王妃」の名前が確認できたことが判明しました。
1つ目の石碑には「ゴーム老王がデンマークの”強さ”と”救済”の象徴であるテューラ王妃を讃えて、この記念碑を作らせた」旨の内容が書かれていたといいます。
また2つ目の石碑にも「息子であるハーラル1世が母テューラを記念して作らせた」ことが記されていました。
さらに驚くべきことに、イェリング墳墓群の近くにあるベッケとレーボルグの2つの石碑には、ハーラル1世やゴーム老王ではなく「テューラ」の名前だけが確認できたのです。
ここで彼女は「貴婦人」や「女王」を意味するルーン文字とともに言及されていました。
またベッケとレーボルグの2つの石碑は、当時実在した「ラヴヌンゲ=トゥエ(Ravnunge-Tue)」という著名な彫刻家によって彫られたことが分かっています。
そして今回、新たにイェリング墳墓群の文字を3Dスキャンで慎重に分析した結果、その筆跡や彫刻技術から同じラヴヌンゲ=トゥエによって彫られたことが特定されました。
このことから研究者らは、4つの石碑に見られた「テューラ」という女性が同一人物であることを確信しています。
研究主任のリスベス・イメール(Lisbeth Imer)氏は「ヴァイキング時代のデンマークには、ゴーム老王やハーラル1世を含め、これほど多く石碑に名前が残っている人物は他に存在しない」と述べました。
テューラ王妃はこれまで「ハーラル1世の母親」として言及されるばかりでしたが、イメール氏はこの結果を受けて「彼女は私たちの予想以上に大きな認知度と政治的権力を誇り、デンマークの形成に重大な役割を果たしていた可能性が高い」と結論しています。
加えて、この結果は男性中心であったヴァイキング社会において女性にも権力があったことを示唆する重要な知見です。
その一方で、テューラ王妃についてはこれ以外のことが謎に包まれています。
どこで生まれ育ったのか、どの家系の出身なのか、女王としてどのように国を統治し、どんな戦いを指揮してきたのか、ほとんど何も分かっていません。
チームは引き続き、ヴァイキング時代のルーン石碑の解読を進め、テューラ王妃に関する記述がないかどうかを調べていく予定です。