後天的に遺伝子を追加する遺伝子治療の大きな成功
現在、世界中には15億人以上が何らかの難聴に苦しんでおり、そのうち2600万人は先天性の難聴となっています。
特に小児の難聴は遺伝的な理由が多く、60%は先天的性となっています。
アメリカに在住する11歳のアイサムさんも先天的な難聴であり、音の振動を脳に送るための信号に変換する「オトフェリン」と呼ばれる遺伝子に問題がありました。
耳と脳が正常でも、両者を繋ぐ信号がなければ、完全な難聴になってしまいます。
同様のオトフェリン遺伝子疾患は出生時から存在する難聴の1~8%(20万人ほど)を占めています。
ただ残念なことに現在、遺伝性難聴を治療するためにFDAから承認された薬は存在しません。
頭痛薬や胃腸薬とは違い、耳と脳の信号を中継してくれる薬を開発するのは極めて困難だからです。
たった1つの遺伝子のせいで、アイサムさんは音のない世界で暮らさざるを得ませんでした。
しかし遺伝子治療技術の急速な進歩により、状況は変わりました。
遺伝子治療では機能していない、あるいは欠損している遺伝子の代りとなる「正常な遺伝子を外部から細胞に供給」することで、遺伝子疾患の回復を目指します。
これまでにも次のような試みが実践されています。
①全色盲の人の色覚を回復させた事例
イスラエルのエルサレム・ヘブライ大学(HUJ)で行われた研究により、遺伝子変異によって完全に色盲だった被験者たちの網膜(錐体細胞)に遺伝子治療を行ったところ、赤色を認識できるように変化したことが示されました。
治療効果は1年後も継続していることが確認され、研究者たちは遺伝子治療による色覚獲得への第一歩が得られたと述べています。
②ドーパミンが作れず寝たきりだった小児を走り回れるほどに回復させた事例
AADC欠損症は主に幼い子供たちから発見される遺伝病であり、脳の情報伝達が阻害されるため寝たきりになり、言葉の習得すらできなくなってしまいます。
しかし臨床試験において「Upstaza」は高い効果を示し「一生寝たきり」になるはずだった子供たちの何人かを、元気に走り回れるまで回復させることに成功しました。
③不安を抑制させる遺伝子を組み込みマウスを恐れ知らずにした事例
エセクター大学はマウスの脳内で不安のブレーキを担当する遺伝子が発見され、機能を増強することで不安レベルを著しく低下させることに成功しました。
また不安を遺伝子レベルで取り除かれたマウスは、普通のマウスなら動きが委縮するような高所でも大胆に動き回るようになりました。
研究者たちは同じ不安を抑制する仕組みが人間の脳にも存在する可能性が高いと述べており、この仕組みを人工的に作動させる方法を見つけることができれば、不安障害を根本から治療できると述べています。
こちらもは遺伝子治療を目的としたものではありませんが、遺伝子治療の概念で脳から恐怖を追い出すことに成功しています。
以上のように、上手く機能しない遺伝子の代りに正常な遺伝子を細胞に届けたり、元の生命がもたない能力を遺伝子によって後天的に与えることに成功してきました。
ここで紹介したもの以外にも、後天的な遺伝子組み換え、あるいは遺伝子送達による能力変化は盛んに行われています。
そこで今回研究者たちは、問題のあるオトフェリン遺伝子を補うため、正常なオトフェリン遺伝子をアイサムさんと同じ症状を持つ6人の子供たちの耳の奥の細胞(蝸牛への小さな入り口である正円窓)に届けることにしました。
先天的な疾患を後天的に治療する遺伝子治療は、子供たちの耳にどんな効果を与えてくれたのでしょうか?