意思決定の「基礎的ルール」を特定する
意思決定の「基礎的ルール」はどんなものなのか?
先に述べたように、この基礎的ルールというものが、ネットワーク全体の活性化や不活性化といった、単純なON・OFFの仕組みでないことがわかっています。
そのため仕組みを解明するには、マウスたちの神経ネットワークを構成する全てのニューロンと全ての接続を知る必要があります。
調査にあたってはまず、マウスの後帯状皮質に対して、強く活動するニューロンほど強く光るような仕組み「2光子カルシウムイメージング法」を導入しました。
(※2光子カルシウムイメージングでは細胞の活動の強さにともなって強く蛍光を発する、カルシウムセンサータンパク質が用いられます。この光るタンパク質の設計情報はウイルス感染によってマウスの後帯状皮質へと届けられます)
そしてマウスたちをT字路がある迷路を進ませ、進む方向の意思決定を行わせます。
正解の方向を選んだ場合には、報酬として水が与えられました。
こうすることで意思決定を担う神経ネットワークにおいて、どのニューロンとどのニューロンがどのように接続しているかを、網羅的に調べ上げることが可能になります。
(※ただこの作業は極めて地道であり、自動化された観測システムを導入したにもかかわらず、全てのニューロンと全てのシナプスを特定するには何カ月もかかりました)
次に研究者たちは、この3次元構造に意思決定を行っていたときのニューロンのリアルタイムの活動記録を組み合わせ、意思決定時に起こるネットワークの活動パターンを1ニューロンレベル、1シナプスレベルでの「見える化」を実現しました。
そうすることで得られたのが、上の動画になります。
動画の左側はT字路を進む様子をマウス視点で示しており、右側はそのときのマウスの神経ネットワーク活動を示しています。
結果、驚きの事実が判明します。
はじめて実証された意思決定のシンプルかつ強力なルール
まず最初に明らかになったのは、ネットワーク内部には「他のニューロンを興奮させる興奮性ニューロン」と「他のニューロンを抑制する抑制性ニューロン」があるという点でした。
そしてマウスが右折を決めた時には、そのなかの一部の興奮性ニューロン(右折ニューロン)が発火し、同時に左折を決めた時に興奮するはずだった左折ニューロンを抑制する抑制性ニューロンを起動させました。
逆に左折を決めた時には、左折ニューロンが興奮すると同時に右折ニューロンを抑制する抑制性ニューロンが起動していました。
この結果は、意思決定を行う神経ネットワークには、それぞれの選択に対応して興奮するニューロンたち(右折ニューロンと左折ニューロン)が存在すること、また同時に、それらのニューロンたちは、選ばれなかったほうのニューロンの動きを抑制していたのです。
つまり意思決定では選んだほうの活性化と選ばなかったほうの抑制化がセットで起きていたわけです。
研究者たちは「二者択一の状況において、この基本ルールは直感的に理にかなっており、優柔不断を許さないシンプルかつ強力な仕組みとなる」と述べています。
選ばないほうを抑制することには、意思決定の安定化させ、決定の変化を防ぐのに役立っていると考えられるからです。
というのも間違いを犯すことよりも、決定を下せないことは、しばしばより大きな不利益になります。
決定さえ下せれば、少なくとも間違ったほうを特定し、正解のほうを選びなおすことができます。
また下した決定を維持できなければ、何度も分岐点に戻って来てしまい、こちらも結局正解に辿り着くことはできません。
決断を下すシステムと決断を維持するシステムの2つはセットとなり「意思決定」を実現していたとも言えるでしょう。
プログラムや機械工学の知識がある人たちならば、仕組み自体は「ありふれたもの」と思えるでしょう。
先にも述べたように、理論研究においても、似たような仕組みが繰り返し提案されてきました。
しかし実際の観測から、意思決定の仕組みが実証されたのは、今回の研究がはじめてとなります。
研究者たちは、同様の意思決定の仕組みは人間の脳にも存在する可能性が高いと述べています。
また意思決定の仕組みが実証されたことで、具体的な薬の開発もようやく始められます。
これまでの研究では、アルツハイマー病、統合失調症、依存症などの患者たちでは、正しい選択を行うことに苦労することが知られています。
(※たとえばアルコール依存症の場合、お酒を飲まないという選択をしたり、飲まないという選択を維持することも困難です。)
意思決定の仕組みを解明することができれば、決断を下すことや決断を維持することを助けてくれる薬が開発できる可能性も出てくるでしょう。