牡丹鍋、現在でも滋養強壮にいいとされており、江戸時代にジビエが薬という扱いになっていたのも納得である。
牡丹鍋、現在でも滋養強壮にいいとされており、江戸時代にジビエが薬という扱いになっていたのも納得である。 / credit:wikipedia
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昔は薬として食べられていた!肉食タブーの裏で江戸人が愛した肉料理 (3/3)

2024.05.12 Sunday

前ページ肉と言ったらジビエが中心だった江戸時代

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薬や外国料理という名目で食べられていた肉

牡丹鍋、現在でも滋養強壮にいいとされており、江戸時代にジビエが薬という扱いになっていたのも納得である。
牡丹鍋、現在でも滋養強壮にいいとされており、江戸時代にジビエが薬という扱いになっていたのも納得である。 / credit:wikipedia

江戸時代の料理本はまったく肉料理について書かれていないわけではなく、肉料理についての記載もわずかながらあり、肉の臭みを取る方法や血抜きをすればどれくらいもつのかということが書かれていたりします。

しかしこれらの書物でも「牛や豚はオランダ人が食べるもの」「豚は中国の食べ物といったことが書かれており、決して日本料理の中で肉が受け入れられていたわけではないことが窺えます。

それでは、表向き肉食がタブー視されていた江戸時代において、どういった名目で肉を食べていたのでしょうか?

当時の日本では動物の肉を薬として扱っており、人々は「薬を食べる」という名目で肉を食べていました

実際に日本料理の料理本の中にはほとんど肉料理はないものの、本草書(現在でいう薬学書)には多くの獣肉のレシピが載せられており、その効用が詳細に書かれています。

しかしあくまで本草書の中では獣肉は体にいい薬として食べることがすすめられており、食品として肉が取り扱われているわけではありません。

また外国料理という枠組みで肉を食べることについては許容されており、卓袱料理(しっぽくりょうり、中国料理や西洋料理が日本化した宴会料理の一種)を世間に広めるために書かれた料理本には、数多くの肉料理のレシピが載っています。

このように江戸時代の日本においては、日本料理として肉が食べられることはほとんど無かったものの、薬や外国料理という名目で肉が食べられていました。

しかしやがてこれらは形骸化していき、ジビエを提供するももんじ屋が生まれたのです。

ももんじ屋では表向きにあった肉食忌避から猪肉を山鯨(やまくじら)、鶏肉を柏(かしわ)、鹿肉を紅葉(もみじ)などと称していたものの、江戸の町中にて公然と経営しており、多くの人が肉を食べに訪れていたのです。

そこでは獣肉を鍋物にして食べたりしており、後に肉食が解禁された後にすき焼きや牛鍋が人気を博した伏線となっています。

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昔は薬として食べられていた!肉食タブーの裏で江戸人が愛した肉料理 (3/3)のコメント

ゲスト

江戸時代に豚がいたのはびっくりする。
何時代に日本に入って来たんだろう。

ttms

肉は薬なので健康にいいです。

通りすがりの仮名おっさん

【御礼】現在アラ還爺でして、子どもの頃、大人たちが鶏肉🐔を何故「かしわ」と呼ぶのか不思議でしたが、その謎がようやく解けました❗👍✨とても勉強になりました。どうもありがとうございましたぁ❗m(__)m、

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