満腹感を得るために行われた国策炊き
このように戦争初期の段階でも米を節約する動きは見られましたが、これは先述した旱魃による米の大凶作の影響という面も強く、裏を返せば米以外ならお腹いっぱい食べることができたとも言えます。
しかし1941年に対米開戦をすると、日本が孤立状態を強いられることとなり、さらなる物資不足が進んでいきました。
この時期になると先述したような米の代わりとなる主食を探すのではなくて、米の炊き増しを行うようになっていったのです。
米の炊き増し方法として当時行われていたのは、国策炊きと楠公炊きです。
国策炊きは米を洗うことなくそのまま沸騰したお湯の中に入れて炊くというものです。
楠公炊きは米を炊く前に軽く炒めて、その後にゆっくりと炊くというものです。
双方ともに米に水分を含ませて量をかさましただけのものであり、当然カロリーも栄養も従来の炊き方で炊かれた米とは何も変わりません。
これらの炊き方で炊かれた米は腹持ちが悪いうえ、味もそこまでよくなく、国民の間では非常に不評でした。
しかし食後の満腹感だけは得ることができたということもあり、不評ながらも多くの家庭でこれらの方法で米が炊かれていたのです。
その後戦局がさらに悪化すると、こういった炊き増しで何とかなるほどの米さえ手に入らなくなり、わずかばかりの米を使った雑炊が食べられるようになりました。
現在の雑炊には様々な具が入っているものがほとんどですが、この頃になると戦争初期のように芋も満足に手に入らなくなっていたこともあり、芋のツルや皮などといった野菜くずが具として入っていたのです。
また代用食としてはすいとんが食べられるようになりました。
もちろんこれも現在のすいとんとはかけ離れたものであり、トウモロコシ粉や糠を水で溶いて団子のように固めたものであり、先述した雑炊と同じように野菜くずが具として入っていたのです。
また煮干しや昆布が手に入れられないこともあって雑炊・すいとんともに出汁は取られず、調味料も不足していたこともあって味付けはほとんど行われていなかったのです。
そのようなこともあって、戦争末期に食べられていた雑炊やすいとんは非常にまずかったと言われています。
戦時中の倹約というと何かと一まとめにされがちですが、こうやって振り返ってみると、戦争初期と末期では倹約のレベルがかなり異なっていたことが窺えます。
昔の人は好き嫌いできなかったんやろな、そう考えると好き嫌いできてる俺らは幸せもんなのかな。