低線量放射線で細胞分裂が進むゾウリムシ?
一般的に、放射線の生物、特にヒトへの影響に関しては、「放射線の被ばくは、医療被ばくも含め少なければ少ないほど望ましい」と認識されています。
一方で、過去のさまざまな疫学調査では、放射線に関わる幾つかの職業従事者のがんや他の疾患による死亡率や罹患率が一般の人々に比べて低い、という通常の認識と逆行した多くの結果が得られていました。
これらの結果は、放射線には低線量でも生物に対してそれなりに有害な影響がある、としていた従来の概念を覆すものでした。
そのため近年では、低線量の放射線では生体機能を活性化させるなどの有益な効果が生じるという仮説、「放射線ホルミシス」が注目されています。
放射線ホルミシスの概念を最初に提唱したのは、米国ミズーリ大学(University of Missouri)教授で生化学の専門家であるトーマス・D・ラッキー(Thomas Donnell Luckey)教授でした。
彼は1970年代に実施された米国のアポロ計画において、宇宙放射線による宇宙飛行士への被ばくの影響に関する研究の中心人物でした。
宇宙放射線による被ばく量(宇宙ステーション滞在時)は年間約300ミリシーベルト程度となり、日本人の自然放射線による被ばく量の約200倍にもなります。
彼は、人体に有害とされる宇宙放射線の影響を調査するうちに、膨大な疫学調査や研究成果等を見直した結果、1982年の米国保険物理学会で「低線量の放射線に関しては、免疫機能の向上、身体の活性化、病気の治癒力の向上等に貢献する」という意外な報告を行ったのです。
これを契機として、他の研究者からも低線量の放射線は有益な効果があるとの主張がなされるようになり、新たな視点からの低線量による影響の研究が行われ始めました。
低線量の放射線の生物への影響を検証するために、ショウジョウバエ、ラット、マウス等を使った多くの動物実験が行われています。
単細胞生物のレベルでは、自然放射線をほぼさえぎった状態で、ゾウリムシの細胞分裂への影響を調べるという実験が2006年に大阪公立大学で行われています。
この実験では、厚さ15 cmの鉄で覆われた箱の中で、ガンマ線を自然放射線の40分の1、中性子線を6分の1にしてゾウリムシを閉じ込めて3カ月間培養しました。
もし放射線が完全に生物の的ならば、完全に遮断することでゾウリムシたちに対してプラスの影響が起こるハズです。
しかし放射線を完全に遮断して3カ月後、ゾウリムシの細胞分裂は著しく減少してしまったのです。
この結果は放射線を遮ったことで、細胞が逆に元気を無くしてしまったように見えます。
そこで、今度は逆に箱内に放射線源を設置して自然放射線レベルの環境に戻して見たところ、ゾウリムシの細胞分裂は増加に転じて、通常の分裂を繰り返すようになったのです。
この事実は、「生物は常に低線量の自然放射線が存在する環境下で生きており、その放射線は生命維持の機能に重要な役割を果たしている」と解釈されています。
最近においても、高線量の放射線の影響からは予測できない、有益な効果が低線量では相次いで報告されており、同効果の研究は放射線生物学の中心的な課題の一つとして注目されています。