チンパンジーたちの性の作法
![チンパンジーの雄は交尾したいときに秘密のジェスチャーで雌を誘う](https://nazology.kusuguru.co.jp/wp-content/uploads/2025/02/a2559bc5b302649159ecf283f18ecc49-900x506.jpg)
野生のチンパンジーは、道具を使った採食方法や身だしなみの取り方など、コミュニティごとに異なる行動パターンを持つことが知られています。
こうした違いは、人間社会における「文化」に近いものと考えられ、研究者はこれを「チンパンジー文化」と呼ぶことがあります。
例えば、ある地域のチンパンジーは木の棒を使ってハチミツを採るのに対し、別の地域のチンパンジーは葉を使うなど、同じ目的でも各地で方法が異なります。
特に、交尾前のジェスチャーにおいては興味深い事実が判明しています。
過去の研究では、チンパンジーの雄が「こっそり」交尾を行う現場が観察されてきました。
たとえば、ジェーン・グドール(Jane Goodall)やフランス・ドゥ・ヴァール(Frans de Waal)の報告には、下位の雄がアルファ雄の目を盗んでメスと交尾するケースが記録されています。
これはしばしば「隠密交尾(sneaky mating)」とも呼ばれる行動であり、グループの優位な雄が交尾機会を独占するため、下位の雄は目立たないようにメスから離れた場所へ移動したり、静かな合図を使って交尾を試みたりします。
さらに、メスも交尾時に「copulation calls」を抑え、周囲にばれないように協力する行動が報告されています。
人間もチンパンジーも、秘密裏に交尾を行う傾向があるのです。
こうしたチンパンジーの多様なコミュニケーション手段――特にジェスチャーや声――は、生まれつきの本能だけでなく、仲間同士の「社会的学習」を通じて身につけられることが指摘されています。
一方、今回の研究では、雄が交尾を誘う際に使うジェスチャーが複数のコミュニティにまたがって幅広く調査されました。
調査では、31頭のオス(12歳以上)を対象に、交尾勧誘ジェスチャーを「いつ」「どのように」行ったかが詳細に記録されました。
最終的に、計495回の交尾勧誘ジェスチャー(copulation solicitation gesture)が観察されました。
そのうち、交尾勧誘に明確に関わるイベントは454回にのぼります。
また、観察対象となったジェスチャーはすべて「物体を使って音を鳴らす」という共通点があり、以下の4種類に分類されました。
枝揺らし(ブランチ・シェイク:Branch shake):枝を揺らして音を立て、メスの注意を引きます。
かかと落し(ヒール・キック:Heel-kick):かかとで地面や木の幹を叩いて、コンコンと音を出します。
拳でコンコン(ナックル・ノック:Knuckle-knock):指の関節(ナックル)で硬い表面を叩き、軽いノック音を出します。
葉バリバリ(リーフ・クリップ:Leaf-clip):葉をちぎってパリパリという音を出します。
これらのジェスチャーはどれも「目立ちすぎずに相手の注意を引く」性質を持ち、ときには「こっそり交尾」を望む場面でも使われると考えられます。
さらに、コミュニティ間で使用されるジェスチャーの頻度には明確な差があることが明らかになりました。
北東コミュニティ: 「拳でコンコン」を多用し、交尾勧誘全体の約56%に該当します。一方で、「かかと落し」の使用頻度は他のコミュニティに比べて低くなっていました。
東・南コミュニティ: 「枝揺らし」や「かかと落し」を多用する一方、北東で頻繁に使用される「拳でコンコン」はほとんど観察されず、「葉バリバリ」も特定のオスが時折行う程度です。
北コミュニティ: 過去の観察では「拳でコンコン」が常習的に使われていたものの、本研究期間中は一度も確認されませんでした。その代わりに、「かかと落し」や「枝揺らし」が多く見られました。
さらに、研究チームはウガンダのソンソ(Sonso)地域の野生チンパンジー社会とも比較を行いました。
そちらでは、タイ国立公園で一般的な「Heel-kick」や「Knuckle-knock」は観察されず、代わりに「物叩き(object slap)」と呼ばれる両手で物を叩くジェスチャーや「葉バリバリ」を交尾勧誘の主要な手段として使用していることが分かりました。
これらの違いは、機能的には同じ目的(交尾勧誘)を持つジェスチャーでも、コミュニティごとに多用される種類が異なる、すなわちコミュニティ固有の“方言”が存在することを示す重要な証拠です。
しかし、今回の研究では悲しい事実も明らかになりました。